鮫夢2
□GIVE ME MORE !!___
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(GIVE ME YOU !!の続き)
「ねぇ、もう休んだら?」
「嫌だ」
渾身の忠告は保育園児でも言える一言であっけなく一蹴された。はぁ、と大袈裟に溜め息を吐いても君は顔さえ上げないから、仕方ない、コーヒーでも淹れて上げよう。デジタル時計の一番左の升が14時間ぶりに空になったというのに、スクアーロはなかなか寝てはくれない。
初めてこのスクアーロという同僚のことを欲しくなったのは彼が眠っているときだった。眠っている彼は起きている時とは全く別の存在である。そうやって偶にインクの染みを作りながら書類と格闘するくらいならさっさと寝てほしい。そして、それをじっくり眺めたい。
そんな自己願望をきっちり押さえ付けてコーヒーなんぞ淹れてしまう自分の従順さおかしい。変だ、本当にこれは私なのだろうか。
スクアーロのコーヒーメーカーでスクアーロのカップにスクアーロのコーヒー豆で淹れたコーヒーを持っていっただけでスクアーロはすまないなぁ゛と礼を言う。
「礼を言うより早く終わらせて寝たまえよ」
そして私がそれを眺めるから。最後は心の中でだけ呟いて、カップに口を付けるスクアーロを眺める。その瞬間、今の今まで睡魔に弛まされ切っていたスクアーロの表情が歪む。ふむ、上々。
「てめっ!なんつーコーヒー淹れてんだぁ!飲み物じゃねぇよ何だぁこれ!!」
「え?ちょーうエスプレッソだよ?ねぇスクアーロ、折角の私の忠告を無視したんだから、それくらい飲んでよ」
精一杯良い笑顔で笑う。内心笑っていない。何故起きている。早く寝ろ。そんな調子じゃあ明日の任務がクソ辛くなるのは必至だし、そんなぐにゃぐにゃの文字じゃあボスにぶち切れられるのも必至だし、そんな隈じゃあ折角の顔が台無しだし、何より私は、君の寝顔が見たい。
無言の圧力に耐えかねたのか、スクアーロはぼそぼそと何か言いながらもカップを口元に運んだ。じゃあてめえも寝ろよ、とか何とか、聞こえたけど聞いてやらない。
さて後どれくらいでスクアーロは寝てくれるのだろうか。積み上がった書類の山を見上げる。このままでは徹夜コースだ。くそっ、こいつ端から寝る気が無いのかふざけんな。
「…下さい」
「…あ゛?何だぁ?」
「だから、その書類半分寄越せって言ってんの!ただでさえスクアーロは字が雑なのに、そんな寝呆けた字じゃまたボスに突っ返されるだけじゃん。効率が悪いったら無い。どうしても私の忠告を無視して今日中にそれをやるってんなら、半分私に寄越せ」
返事に聞かずに勝手に奪った書類の山を取り返そうと立ち上がったスクアーロを「そんな暇があるなら進めたまえよ」と制して、全く、どうして私がこんなことをしているんだ。スクアーロに回される書類は面倒なものが多く、普段の私ならスクアーロの二倍は時間が掛かるけれど、現在のスクアーロはその私より更に効率が悪いんだから仕方がない。ここまできたら引き下がれない。どうしたってスクアーロの寝顔を拝んでやる。胸中で悪態、嗚呼、明日は私にも隈が出来ている。
ちらり。横目で見やると丁度スクアーロの首がかくりと落ちたところ。いいぞその調子だ、早く落ちろ。
声のトーンを一転、そっと低く囁くように、穏やかな子守唄のように、甘く唆す。
「ほら、スクアーロは凄く頑張ったよ、だから少し休んでもいい時間だよ。大丈夫、ちょこっと仮眠を取って、丁度いい時間には私が起こしてあげる。そうしたらもっと捗ると思うなぁ。スクアーロは仕事が速いんだから、仮眠をとったって絶対夜明けまでには終わるから、私知ってるもん。ね?」
本気を出せばこんな声も出るのか。我ながら感心しながら、けれど今の言葉には虚言が交じる。丁度いい時間に起こす?まさか、明日の任務ぎりぎりまで寝かせておくに決まっている。
三白眼の焦点が迷子だったスクアーロは、もう舟を漕ぐ動きそのままに首を縦に振ってしまう予定だった。けれど(良くも悪くも)期待を裏切ってくれることに定評のあるスクアーロは、目蓋を下ろすどころかその目を見開いて、首を横に、そう横に振りやがった。ふざけんな。
ああまさか、さっきの超ストロングコーヒーが今頃になって効いてきたのか。つい零れた舌打ちだったけれど運良く聞き逃したらしいスクアーロは再び書類に目を落とした。どうやら瞳の焦点も合っているようだし、どことなく機嫌も良さそうだ。こっちはちょーう不機嫌だっての。
ただまあ、どうやら彼の上機嫌の理由が、私に褒められたというたったそれだけのことらしいというのは、何というか、凄く可愛いと思ったけれど。何歳だよお前は、なんて、可愛いから別に文句は言わない。
結局、あんなに高かった書類の山はまだ真っ暗なうちに然るべき処理の後に整然と積み直された。
凝り固まった体を解すためにうーんと伸びていると、世話かけたなぁ゛、といつになく殊勝なスクアーロの言葉が降ってくる。
「いいよ別に、私が勝手にやったんだから。」
「一つ借りだなぁ」
君が今すぐ私の目の前で眠ってくれたら、そんな借り一瞬で返済完了なんだけどな。掛け合ってみようかな、と少し考える。
言い淀む私に何かを察知したスクアーロは、あ゛ぁ、と声を上げる。正直理解されている気がしない。
「なぁ、もう遅いし、泊まっていくかぁ?」
成る程、それなら心置きなくスクアーロの寝顔を心行くまで眺められる。何の凝った理由もなく、ただスクアーロの許可が有るだけで得られる権利。うんと頷きかけて、思い止まって首を横に振った。
「あはは、遅いって言ったって、どうせ廊下何本か先の部屋に帰るだけだからいいよ別に。」
そうかぁ゛と平静を装う君だけれど落胆がバレバレである。じゃあまた後で、とニヒルに笑ってみせて、何だかんだで目標は達成できないまま。じゃあなぁ゛と送り出した君が最後までこちらを見ていたこともちゃんと分かっていた。
GIVE ME MORE !!
あの時もし君がほんの少しでも眠そうにしていたら首を縦に振っていたと思う。でも、あんなにキラキラのばっちり覚醒した目で見つめられちゃったら、断るしかないじゃないか。分かってないなぁと笑いつつ、でもこんなにかわいいのだから、起きているスクアーロも中々に素敵な物なのかもしれないと思い始めている。