鮫夢2

□金の斧_______
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 運命を変えられるのは人間だけだ。「運命」は人間が作った概念だから。鉛筆の文字を書き直す気軽さで、人は運命を変えられる。

 けれど人でない私の「運命」は、残念だけどこの身に黒々と彫り込まれているから、そうそう書き換えられそうにない。

 ねぇいっそ、皮ごと剥いでしまえたなら、



――――――――――――――――――――――――




 薄暗い湖底に又一段と蒼い影を落としながらソレは沈んできた。めんどくせぇ、と零した悪態は泡沫に変わって浮上、ソレに纏わり付く。



 金の斧、という童話を知っているだろうか。

 木こりが湖に斧を落とす。現れた湖の女神が尋ねる。「あなたが落としたのはこの金の斧ですか、それとも銀の斧ですか?」と―――――



 ああ、まじもうやってらんねぇよ下らねぇ!落とし物を掴むために浮上しながら、吠える。

 正直者を讃えあげ量産するシステムの、最も報われない歯車は私だ。だって私に恩恵は与えられない。生まれたときから私の〈やること〉は決められている、決められた質問を投げては決められたとおりに対応する、正直も糞もねぇんだよ嘘を吐く機会さえ与えられない、薄暗い湖底に半永久的に眠る私は、どうせなら感情を持たない機会人形にでもなりたかった!!

 それが叶わないのだから、せめて自由を与えてよ。運命からの自由。地上の人間のように好きな道を選んでみたいよ。どんな悲惨な結末だって、私から見れば輝かしい憧れの対象なの、だって、それ自分で選んだんでしょう?

 例えば、白雪姫。嫉妬に駆られた魔女に毒林檎を渡された訳だけど、最後に齧ったのは自分。ほら、眠りの中で振り返った時、「あの時食べなければ、」なんて少しでも自分を責めれる。ねえ、只管置かれた状況しか嘆けないと、自分に嫌気がさして来るものよ。私みたいに。「なーに悲劇のヒロイン演じてんだよ」ってね。



 不幸になりえない者の甘えなのかしらね、こんなの。それとも、僻み?



――――ずっと夢見ていた。もし自分が女神なんかではなく、お姫様だったら。いや、ただの町娘でも良いのだ。愛されうる存在になってみたかった。女神の魔力なんていらないし、傷つく可能性だって甘んじて受け入れよう。愛されるよう努力するし、例えそれが叶わなくても、希望さえ持てれば良い。ねえ、沢山の愛を浴びるように受けるお姫さまになりたかった。

 憎いのは変えられない運命、等ではなく、愛されない自分なのかもしれない。少し笑ってみる。



 お願いだから、真夜中には物を落とさないで。月明かりじゃあ頼りなさ過ぎて絶望と戦えないのよ。全く、例え正直者でも文句の一つも言いたくなるわ。

 ああ、本当に懲らしめてやろうかしら。可哀想なオバカサン、こんな時間に森に入ったあなたが悪いのよ。

 八つ当りなのは自分でもわかっていた。意地の悪い笑みを浮かべながら落とし物に手が届く位置まで上った女神は、静かに瞠目した。いや、叫び声が湖水に紛れて消えた。



―――――ああ、神様!



 落とし物は、人の形をしていた。意匠を凝らしたレースがふんだんに使われ、やわらかな布地を縫い止めるのは金糸。どう見てもガラス玉には見えない青い石の付いた首飾りに、イヤリング。そして、陶器のような肌にかかるウェーブのかかった美しい髪を飾る、冠。

 ああ、それは紛れもなく女神が羨望して止まなかった、お姫さまであった!

 但し、死んでいる。



 茫然としながら、しかし女神の体は取るべき行動を淡々とこなす。ぼんやりと光を放つ腕で華奢な死体を抱えあげる。地上へ上る。定型文を吐く。



「貴方が落としたのは、」



 その先が、口から出てこなかった。湖岸に蹲る青年に目を奪われていた。青年の背中を流れる銀糸に月光が跳ねる。すぐ傍には鞘ごと放り投げられた剣。

 女神の声に、俯いていた青年はゆっくりと顔を上げた。元は精悍であったろうその顔は深い悲壮に食い荒らされ陰欝な印象しか与えない。微かに歪められた唇はよく見れば荒れていて、彼の立派な出で立ちとはどこまでも不釣り合いだ。

 女神の出現を予想していたのだろう。驚いた様子は全く無かった。淡い光を湛えて水面に立つ女神を見上げ、青年は僅かに顎を引き、背筋を正した。それだけで生まれる、心地よく張り詰めた緊張感。青年は胸に手を当て、真っすぐに女神を見上げた。



「俺が落としたのは、この国の、つい半日前に死んだ王女だぁ」



 そして貴方は、何者ですか?忠義深い部下?それとも恋人?…結ばれない恋の果ての、心中でございますか?その後は後追い?

 発しかけた問いをすんでの所で引き戻す。女神の仕事には不必要な情報であった。それよりもっと教えてほしい事があった。

 私は、何をすれば良い?落とされたのが斧なら、正直の褒賞は金の斧だ。ねぇ、金のお姫さまなんか貰ったって、彼が喜ばないのは分かり切ってるじゃないの!



「なぁ、女神さんよぉ」
「…なぁに?」



 集中力をぐちゃぐちゃにかき乱して、青年が声を上げる。煩いわね、邪魔しないでよ。平静を装うのにあんたがどれだけ努力したか知らないけど、残念ね、語尾が少し震えているわ。



「俺は、正直に言ったぜぇ?ご褒美があんだろぉ?」



 ご褒美。余りに子供っぽい言い回しについ吹き出しかける。けどそれが意味することに気付いた瞬間笑いは消えていた。

 ああ、羨ましい。

 瞬間、言葉は殆ど無思考のまま転がり出ていた。



「勿論、ご褒美を上げますよ。急かさないで、今黄金に変えてあげる、」
「そうじゃねぇ!!」



 抑え切れずに叫んだ彼が、あ゛っと口を押さえた。無理に丁寧な物腰を作っていたのだろう。冒した失態に気付いた青年の顔に絶望の色が滲む。

 ごめんね、悪いとは思ってないけど。流石に少し可哀想かしら。つい意地悪が過ぎてしまったけれど、許してほしい。正直者に優しい湖の女神だって僻んだりするものなの。

 要は、お姫さまの死を誰より悲しんだのが彼なのだ。現実を受け入れられない彼が選んだのが、現実の方を覆すことだった。

 本当に羨ましい。

 運命を変える機会があることも、それほどまで想い、想われることも、全部羨ましい。



「…冗談よ。貴方が望んでることくらい、分かるわよ。」



 はっと顔を上げた青年に、でもねぇ、と困った声を返す。



「でもそれ、私より魔女に頼んだほうが良いんじゃないの?蘇生術が得意な湖の女神なんかいないわよ」



 実際、困った。

 出来るか出来ないかではなく、やるかやらないかだ。

 正直者を讃えるというのは手段にすぎない。道徳と倫理の形成、それこそが私の存在意義。でもその為に死体蘇生しなきゃいけないなんて、本末転倒じゃない。それこそ倫理と道徳が裸足で逃げ出す非人道的、非倫理的行為じゃない。死体を抱える私の中で、存在意義が責めぎあう。

 ねぇ、可笑しいわよね、馬鹿らしいわ。私じゃない誰かが決めたルール同士が、私を戦場に選んで好き勝手に闘ってるの。どうして〈私が〉被害を被っているの?

 規則さん、運命さん、世界さん。貴方たち、今まで散々私を縛り付けておいて、これは無いんじゃない?ねぇ、不公平だとは思いませんこと?

 何がって、そうね例えば、全部よ!



「…まじ、ねぇわ。」



 女神の笑みを投げ捨てて代わりに酷薄な笑みを浮かべると、青年は警戒して身構えた。あんたのことじゃない、と表情を和らげてみせる。



「ねぇ、一つお願いがあるんだけど」
「なんだぁ、」



 答えは出ていた。正しいかどうかなど既に問題ではない。青年の望みさえ意味を失っている。結果的に彼の望みは叶うけど、「あらまあ運が良かったのね」という程度だ。副産物に過ぎない。存在そのものに絡みついた柵(しがらみ)から抜け出すには、もうこれしかなかった。



「そんな構えないでよ、無茶は言わないから。ただたまに、そうだな、月一にでいいからここに顔出しな。お姫さまと一緒に。」



 だから、どうして自分がそんな事を言いだすのか分からなくなっていた。何言ってるんだろう、私これから消えるのに。確かに何でもないある日に尋ねてきた彼らと何でもない会話を楽しむのは、魅力的だ。でも消える私にとっては未来自体無意味なのに。



「騎士さん、お返事は?」
「あ゛ぁ…約束する」
「上出来」



 ただ一つ確かなこと。ニヒルに歯を剥きだした瞬間は確かに幸せだったということ。

 誰にも触れられない私の肉体に価値が無いのなら、きっと「私」とは私の為してきた幾千の奇跡の連なりなのだわ。だからあの美しい騎士が恐らく生涯をかけて愛するだろうお姫さまを私が蘇らせるなら、それは私が愛されることと同義ではなくて?

 ええ、私にはそう信じる自由があるわ。

 あくどく笑って、今まで経験したことが程の魔力を流し込んだ。光を放ち、腕の中で微かな呻き声を聞いて…



 ブツンッ!



 張り詰めた弦を叩き切る音に魔力の消滅を知って、その途端生まれて初めて重力を体験した。光で覆ったお姫さまだけは、何とか岸辺まで飛ばして、



―――――幕位自分の手で引かせてよ、良いでしょう?これで自由、なんてちっとも思ってないけど―――――



 湖の女神が溺死しました。そんな下らないジョークに笑いながら、





 ブラックアウト。
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