鮫夢2

□仮定法_______
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Were we just friends,......









 全身の神経が、あり得ない程研ぎ澄まされていた。



 がぽ、り。



 強張った指の隙間から空気が漏れる。理不尽に圧迫された気管から漏れる呻き声。見下ろした先で、徐々に光を失っていく硝子玉が、二つ。

 あたまのなかが、まっしろだ。いや、まっくろなのかもしれない。どろどろと、えたいのしれないぶきみなものが、おれのなかをはいずりまわっている。からだがあつい。

 なにひとつはっきりとはかんがえられない。



 ああ、俺の中身が、死んでいく。俺は、俺自身の手で、俺の一部を殺そうとしているのだ。崩壊した理性の残滓で、とうに統制を失った肉体の底で漠然と理解した。



 はっ、と。知覚したのは己の手の甲を行き来する、くすぐったく柔らかく、穏やかで…愛おしさに満ちた感触。その感覚が、俺の体中を食い荒らしていた荒々しい化け物の手綱を引き戻す。

 触れるか触れないかの距離感で行き来していた柔らかなそれは、「いとおしい」という表現が世界で唯一しっくりとくる手で…



―――――俺は、何をしている?



 弾かれたように体を起こし、不気味に青黒い痣の付いてしまった首筋から手を退けた。

 血の気が引く。肩で息をしながら、俺は何をしていた?



―――――俺は、



 馬乗りになった俺の下で天音が噎せた。激しく胸を上下させながら酸素を取り込み、頬に色が戻って来る。瞳に、光が戻って来る。

 その様を謝罪も、上から退くことさえも忘れて食い入るように眺めていた。

 過呼吸患者のように咳を繰り返していた天音がようやっと落ち着いた。そして俺を、詰るでも、責めるでも、理由を尋ねるでもなく、ただ力なく口角を緩めて見上げた。



 ああ、またやってしまった。また俺は、天音を。

 覚えているのは、天音が他の隊員と任務の話をしていたのを目にしたことだけだ。思い返せばそれはどう考えても事務的な話だったし、口調も表情も淡々としていた。曲解の余地も無いほどに。

 なのに、怖くなった。天音の心が読めないという当たり前の事実に戦慄した。誰より天音の心情に肉薄出来ているのが、俺でないとしたら?天音が俺の隣を選ぶ意味は?一体それはどれほど脆い?代替可能?

 天音、お前はいつも、何を思うのだ。



 そうして俺は、最悪のケースの妄執に取り憑かれる。天音の目に、有りもしない他人への欲火の影を錯覚したのだ。天音がどれ程俺を慕っているかなど知っていた筈なのに、歪みきったこの目は真実を写してはくれなかった。

 そして俺はまだ事務連絡が終わっていない天音を無理矢理引き摺り、空き部屋へ押し込んで口をきく間も与えずに首を絞めた。

 そんな凶行もこれが初めてと言う訳ではなかった。



 殺意はきっと、無いのだ。いや、どうだろう。俺はただ焦爛した独占欲に身を焼かれ、理性を喪失していた。もしかしたら殺意だって、どこかに潜んでいるのかもしれない。無理心中に走る奴らの気持ちも今なら理解できる。



 本当に、天音が俺の唯一の、そして単なる友人であったならよかったのに。友情だとかに興味は無いし、正直反吐が出るが、天音とならうまくやっていけたに違いないのだ。何しろ、俺と天音なのだ。

 ただの職場の同僚というよりも、少しだけ親しい間柄。友人、戦友、好敵手。いや、もうなんでもいい。ただきまぐれに雑談をしたり、偶に語り合えて、時には衝突したりもして。そんなありふれた、激情を伴わない関係でさえあれば、何でも。

 もしそうだったら、この異常なまでの占有欲や執着心が俺の身を焼くことも、そのために天音の首を絞めることも無かっただろうに。



 けど俺は、そんなこと知りもしなかったから。もっと、出来る限り天音に近づきたいと願ったから。自分の欲望に忠実すぎたから。距離を縮めて、惹かれあって、それが最良で唯一の選択肢だと疑わなかったから。

 そうして友人ではなく恋人として天音の横にたつようになって、あっという間に堕ちた。もうどうしたって引き返せない程、浮かびあがれはしない程深く、暗い底まで、堕ちた。



「スクアーロ、泣かないでよ」



 ゆるゆると両腕を上げた天音に、倒れかかる様に抱きしめ返す。本当はそんな権利俺には無いと、分かった上で。何も言えずに、泣いてねぇ、とも言い返せずに。

 ああ、どうしてこんなに温かくて、熱くて冷たいのか。



 零距離で心臓を重ね合わせながら、耳元に唇を寄せた。まるで誰かに聞かれることを恐れるように、聞く者などいなくても事実恐ろしくて、焦燥に駆らた声は自分でも信じられない程怯えきっていた。



「なぁ、もし俺とお前が、ただのダチだったとしたら、」
「きっと、良い友達になれたと思うよ」



 ああ、俺も同感だ。

 けどもう、引き返せないことはお互い重々承知、だろう?だからせめて今だけ、こうしてお前を閉じ込めていられる今だけは、これが最良の現在なのだと夢を見させてくれよ。そしてお前も今だけは、この腕の中が一番安全な場所だと思ってくれ。



 ほら、俺たちは、しあわせなんだ。



Yet,I can't help wishing you were just a friend of mine.
それでも、君が僕のただの友人の一人に過ぎなければ良かったのに、と思わずにはいられないのだ


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