鮫夢2

□終電________
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 LiLiLiLiLiLi.....



 適当に放っておいた筈の携帯がいつの間にか手の中にあってその通話ボタンを押し込んでいたのは、殆ど全て習慣からくる反射のせいだった。どうして電源を切っておかなかったのか、なんて後悔本当は些事に過ぎない。病巣はもっと深くに、脳だか胸だかどっか知らねぇが取り敢えず深い場所にあること位言われずとも心得ていた。

 確かめる迄もなかった。この携帯にかけてくるのは一人しかいない。



「…どうかしたかぁ?」
「スクアーロ?」



 例えば、携帯にかけておきながら本人確認をするような所が。そんな律儀な所が、確かめる迄もなく俺の天音だった。



 がたん、がたん…



 遠くから聞こえるあれは終電か。長い都会の一日も形式上はもうすぐ終わりだ。



「ううん、何でもないんだけど…怪我したり、してないかなって」
「大丈夫に決まってんだろぉ、俺を誰だと思ってんだぁ」
「はいはい、ヴァリアー次席で二代目剣帝サマだね」
「そう簡単に怪我なんかするかぁ」
「そうだよね…」
「…」
「…」
「…天音?」
「…ううん。なんでもないよ。じゃあ、お仕事頑張ってね」
「あ゛ぁ」



 プツン、と。いっそ清々しいくらいに呆気なく途切れた接続にわけもなく淋しくなる。省電力モードに切り替わり薄暗くなったディスプレイを、畳むこともできずに眺める。



「たぶん、バレたね」



 何の感慨もなく呟かれた言葉。

 ぐるりと首をめぐらせて、向こうのソファでゆったりと赤葡萄酒を呷る女に目をやると、睨んでんじゃねぇよと顔を顰められた。



「睨んでねぇ。バレるって何の話だぁ」
「決まってるでしょ。あんたの浮気の話が天音に、さ。お望み通りにね」
「…それは、ねぇよ。」



 否定したのは希望の話か、バレたことか。そらした視線が行き場を無くす。仕方無しに窓へと落ち着いたが蛍光灯の反射するガラスに写り込むのは妙ちきりんに歪んだ己の顔だけ。少なくとも自嘲さえ出来ないくらいには参っていた。

 天音は嘘を吐くのが下手くそだ。その天音に今の電話口のような演技が出来るはずが無い。問い詰められたことすら無かった。



「それこそ、天音があんたに惚れているからでしょう」
「…」
「裏切られた事実もあんたを疑う自分自身も、天音には耐えられないだろうってことだよ。…着信履歴」
「…あ゛?」
「いいから、何時に電話がかかってきたか確かめろよ」



 訳の分からないまま履歴の画面を呼び出す。同じ番号ばかり連なるそれの一番上でひっそりと自己主張する、一番新しい時刻を読み上げる。



「やっぱりね」
「う゛ぉおい、さっきから何が言いてぇ」
「その時間、この家からは終電の走行音が聞こえる」
「…」
「それ位天音は知ってるよ。だって、私の友達だもん」



 おかしいとは思っていた。俺のことなら何でも、俺自身より先に気付く天音が、何も気付いていないふうだった。



 ずっと、不安だった。すぐ妬くわ縛り付けたがるわと何かと天音を引き留めたがる俺に比べ、天音にはまるで執着心が無かった。信頼されているのだと言い聞かせる冷静な俺より、お前なんて嫉妬する価値もねぇんだよと嘲笑う俺のほうがよっぽど現実味があった。

 そんなことを相談していた天音の友人というのが、今目の前でザンザス顔負けの飲みっぷりを発揮している女だ。相談するうち次第に話す機会も増え、サシで飲むこともあった。

 それでも天音は何も言わない。

 お前のことを相談しているんだとまさか天音本人に言うわけにはいかなかった。だから任務だと嘘を吐いた。そして今、俺は終電が無くなるまでここに居座っている。



「…そうだよなぁ。天音が俺のことで気付かない訳ねぇよなぁ」
「そ。所詮あんたごときの浅知恵じゃあ天音には通用しないってこと」
「浅く考えたことなんざ、ねぇよ」
「その結果が、ヤキモチして欲しくて友達と浮気するフリ?頭沸いてんじゃねーの。逆に聞くけどこれのどこが浅くないって?ガキ用のビニールプールのがよっぽど深いわこのヘタレエセビッチ」



 反論する間もなく薄赤く染まった視界。頭からワインを引っ掛けられ一瞬呆気にとられる。空いたグラスを乱暴にローテーブルに戻し、女は鼻で笑ってみせた。



「フン、よくまぁそんなんで天音を引っ掛けたもんだ。」
「…」
「天音が一番怖いものが何か、聞いたことある?無いよな、じゃああの、口癖みたいに連呼してるアレも知らないだろう?」



 最後に帰ってきてくれればいいんだ。

 最後のヒロインになれるなら、それまで何回だって黙って捨てられてやる。



「あいつはさぁ、ただひたすらあんたに捨てられるのが怖いんだよ。あんたが、自分以外の運命の相手を見つけるのが。だから煩く縛り付けることも縋る事も出来ない。そうしないでいれば、捨てられても帰ってきてくれるって信じてんだよ、あいつは」



 きっと天音、電話の向こうじゃ泣いてたよ。泣き虫だし、嫉妬妬きだもん。

 最後の言葉は殆ど聞かずに立ち上がった。



「どうすんの?もう電車は無いよ」
「何とかして帰る」
「おぅおぅ、帰れ帰れ。とっとと失せろ大根役者。」
「何とでも言え。世話になったなぁ。」
「開き直りながら礼を言うな。」



 飛び出した曇天の下はまだ肌寒かった。

 写す窓が無いから、自分の顔は分からない。髪と服はワインで色付いているだろう。それでも構わない。

 きっと着くのは夜も大概更けた三時頃で、それでも天音は寝ずに待っていて、こんな格好で帰る俺に驚くだろうか。

 抱き締めて謝って愛してると言って、天音が恥ずかしそうに笑ったら、それ時にもうガキみてぇな真似からは卒業だと誓ってやる。




-END-
















   ◇  ◇  ◇



「さて、こうして私は一つのハッピーエンドを演出した訳でございますが」



 満足気な呟きが一つ、今度は白ワインのグラスを傾けながら零される。

 強かに酔わされたせいか、笑っていたのか、或いは。幸か不幸か、小刻みに震えた肩の真相を確かめる人物はそこにはいない。

 静かすぎたのは、ただただもう電車が走っていないからに過ぎないのだった。

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