だって好きだから!

□♭24
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名前ちゃんは遠く浮かぶ雲を見つめて、晴れやかな顔をしていた。

時折吹く優しい風は、キミの髪を揺らしオレの心を撫でていく。

オレはそんなキミの横顔をじっと見つめていた。

もう、名前ちゃんなんて親しげに呼んだら申し訳ないのかな…。

そんなことを思いながら、それでもオレの心がどこか清々しいのは、キミが優しく笑っているから。

キミがキミらしい表情で前を向いているから。


「見て、トンボ」

そう言って宙を指さすと、どこからか飛んできたトンボを嬉しそうに目で追っている。

トンボはオレたちの視線に気付いてかどうか、スイスイーとまた遠くへ飛んでいってしまった。

「あんな小さいのに、あんなに早く飛べるなんて凄いよね」

その姿が消えて見えなくなるまで目で追っていた名前ちゃんは、その方を眺めたままで独り言のように呟いた。

オレはなんて答えようかと倦ねているうちに、機を逸したようになってそのまま黙っていた。

再び名前ちゃんが遠くを見たまま呟いた。

「怖くないのかなあ、その先に何があるのかって」

「怖い?」

オレは今までに一度だって虫が飛んでいる姿を見てそんなことを思ったことがなかった。

虫だけじゃない、鳥にだってそんなことを思ったことはなかったから、名前ちゃんの一言をひどく疑問に思った。

「だって、その先に何があるか分からないのにって思わない?

なんの保証があってどこに向かって飛んでいってるの?」

オレは少し考えて、ごく当たり前のことを答えた。

「虫だから、食べ物じゃないの?後は子孫繁栄のためとか…」

名前ちゃんはオレのその答えを聞くと、ふうと小さくため息を吐いて言った。

「そっか。人間だったら不純て言われそうな目的だけど、本当はそれが生き物の純粋な生きる目的なんだよね…」

「そうだね」

名前ちゃんが何を言いたいのか分からないまま、オレは相づちを打った。

名前ちゃんらしくない話題だな、と思いながら。

そして、キミの表情がさっきまでとは打って変わり、どんよりと曇っていくことにオレは気付いていた。

「でもさ、最低限なんじゃない?人間と違って、貪ったりしないでしょ。

虫も動物も、ドキュメンタリー番組とか見てると、必要以上に食を取らないし、脈々と子孫を残してるし。

目的に向かって真剣で真っ直ぐだから迷いがない。

だから飛んでいけるんだよ、怖い物なんてないんだ。

そこに何があったって乗り越えるんだよ」

オレは思いつくままに、でもそれが真理だと自分で納得しつつそう言った。

オレの話をじっと聞いていたキミが、俯いたままふっと笑って言う。

「…そっか。神くんも真剣だもんね。

目的は一つ、勝利かな。

怖いもののない、その強さが羨ましいよ」

…………オレ?

「どうしたの?」

「私、昨日の放課後、バスケ部の体育館に行ったんだよ。

神くんが練習してるの見たの」

「本当?全然、気付かなかったな。誰と来てたの?」

まさか水島じゃないよね??

「一人で。神くんがいつもメールをくれてた時間の30分くらい前かな。

ギャラリーの隅から。もう誰もいなくて、神くん一人で黙々とシュートの練習してた」

「声かけてくれればいいのに…」

「真剣だったから、声なんてかけられる雰囲気じゃなかったよ。

真剣すぎて、邪魔しちゃいけないって思った」

「…そうだった?そんな風に言われたの初めてだ」

「みんな真剣なんだね、バスケ部の人たち。

私みたいな、のほほんと毎日暮らしてる人間にはよく分かるんだけど」

「ありがとう、これからも頑張るよ」

オレは妙にくすぐったい気持ちでいっぱいになって、鼻の頭を親指の腹でさすった。


キミは両手をベンチの縁に付き、足をぶらぶらさせて、膝の上に載せたお弁当の包みを見ながら、

「私なんて迷ってばかりで、そのくせ目的もなく生きてる。

ヘラヘラ笑ってるばかりで…。

神くん。私の笑顔はね、不安や恐怖を誤魔化すためなんだよ」

そう言うキミの瞳は空洞のようになっていた。

「…本当にどうしたの?なんかあった?」

「もっと早くに神くんの練習する姿、見てみたかったな」

「…一つ聞かせて。体育館にはなんで来たの?」

「私も真っ直ぐ飛べるって思ってたのにな…」

オレの問いには一切答えないまま、キミは遠くを見つめたまま、かすかに笑ってそう言った。

びっくりするほど何一つ答えない、どうしちゃったんだろう…。

それでもオレは再びキミに疑問をぶつける。



「水島とどうしたの?」



どれだけの間があっただろう。

一瞬だったかもしれないし、一分?二分?

オレにはかなり長い時間に感じられたけど、もしかすると名前ちゃんが言葉を紡ぐために一呼吸する程度の間だったかもしれない。

途方もない時間に感じたのは、単なるオレの主観だったのかもしれない。



「断ったよ」

キミは一呼吸してまるで何でもないことを言うように、無表情にそう言った。

驚いたのは丸きりオレの方で、びっくりしすぎて声が出なかった。

え、とか、あ、とか、な、とか、そ、とか言葉にならない言葉をどれだけ繰り返しただろう。

そしてようやく、

「なんで?!」

って言葉を放った。

「それが自分でも分からないんだよねぇ。

嬉しくて堪らないはずなのに、まさかこんな幸運が巡ってくるなんて夢にも思わなかったのに。

なんでだろう…。私、変わっちゃったのかな…」

そう言うとキミは、はあ…と大げさなため息を吐いた。



なんで?なんで?

オレの脳は軽いパニックを起こした。

「…もしかして、オレに対する罪悪感?

ごめん…。オレ、そんことと知らずに…。

もっと早くにキミを解放すべきだったんだ…。

ごめんね、ごめんね。

水島のことあんなに好きだったじゃない。

オレのことは心配してくれなくていいから…。

オレ、強い人間なんかじゃないよ。

キミを縛って苦しめた…。

好きだからなんて理由にならない理由で…。

好きって親切で優しくて相手を思うことなのに…。

…今ならまだ間に合うよ。

アイツ、心底傷ついてるよ。

水島のところ行って前言撤回って…」

「行かない」

「え?」

「行かないって言ったの」

「…?」

オレはもう首を傾げることしかできず、ぼんやりとキミを見つめた。

キミはまるで、もう何度目としれない“なんで?”っていうオレの心の声が聞こえたみたいに、

「だって…」

そう言った。
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