だって好きだから!

□♭13
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「オレの部屋、行こう」

オレが立ち上がって声をかけると

「あ…うん…」

名前ちゃんはそう答えたままボーっとしている。

「どうしたの?」

オレはキミのとなりに座り直して顔を覗き込む。

「なんだかすごく申し訳ないことしてない?私…」

手に持っているグラスの中をぼんやりと覗き込みながら力の入っていない声でそう言った。

「申し訳ないこと?」

「うん…。だってなんだか騙してるみたい…」

「なんでそんなこと思うの?」

「だって…、末永くなんて言われたって…」

グラスの底を見つめるキミの瞳が揺れ始めた。

「オレがいいんだからそれでいい、親なんて気にしないで」

どこかで聞いたことがあるようなセリフ、でも用途が全然違う。

「でも…」

「二ヶ月後のことは今は考えないで。

オレを好きにならないって決まった訳じゃないんだから…ね」

「…」

「名前ちゃん」

「…」

うんともすんとも言わないキミにオレは一方的に語り始めた。

「恥ずかしいから言いたくなかったんだけど…、オレが片思いだって知ってるんだ、母親は…」

キミがぴくりと顔を上げ、ゆっくりと首を回しオレの方に顔を向けた。

「夕べ、名前ちゃんのことを家に連れてくるって伝えたとき、母親と少し話したんだけど、

“顔に片思いって書いてある”って言われたんだ」

オレは気恥ずかしさに負けて俯いた。

時でも止まったかのようにキミがオレの顔をじっと見つめている。 

オレが黙ると時計の秒針の音だけが響き渡って耳についた。

「だから、名前ちゃんは嘘なんか吐いてないし騙してもないんだよ。

オレは…信じたくないけど、もしオレのことを二ヶ月後に好きになれなかったとしたら、親にはちゃんと言うから、

お試しで付き合ってもらってたって言うから」

オレは固まったように動かないキミの手からグラスを取ってテーブルに置くと、キミの肩を引き寄せてそっと抱きしめた。

「お願い、そんな顔しないで。

オレ、今日をすごく楽しみにしてたんだ。

だから…オレの部屋に行って一緒に勉強しよ」

キミをオレの胸に抱きよせて側頭部に鼻を押しつけると、深く息を吸い込んだ。

甘いシャンプーの香りとキミの汗の匂いがオレの鼻孔をくすぐる。

瞳をギュッと閉じてキミを感じる…。



「神くん…」

オレの胸の中からキミの囁くような小さな掠れた声が聞こえた。


「なに…」

オレは瞳を閉じたまま身動きせずに返事をした。

ずっとこうしていたいんだ…。


「神くんは悲しくないの?」

そう囁いたキミの肩が一瞬ぴくりと震えたように感じた。

「どういうこと?」

オレは瞼を開けて一点を見つめる。

キミの次の言葉を待つ。

「私だったら悲しくて耐えられない…」

また肩が震えた。

「泣いてるの?」

オレはキミの肩を掴んで首を折り曲げ、顔を覗き込んだ。

「だって…」

キミが涙に濡れた瞳でオレの目を真っ直ぐに見返した。

「…じゃあ今すぐ好きになってよ。

名前ちゃんがオレのこと好きになってくれたら万事解決なんだから…」

オレも真っ直ぐにキミの瞳を見つめ返した。


悲しい?

そんな感情があることすら忘れてたよ。

キミがいてくれることが嬉しくて堪らなくて、そんなこと思ったこともなかった。

「オレのためになんて悲しまないでよ。

いいんだよ、オレのことなんか。

お願いだから笑ってて。

オレ、名前ちゃんの笑顔が好きなんだ。

それに、心配しなくても二ヶ月後にはオレのこと大好きになってるから。

その点、心配無用だから」

「神くん…」

ボロボロボロ…って、キミの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

オレが両肩を掴んでいるために名前ちゃんは手を動かすことも出来ず、涙はそのまま真下に落ちていった。


何のための涙だよ。

オレは悲しまれたくなんてないぞ。

そんなのあんまり惨めじゃないか…。

それともオレに惚れたのか?

だったらすごく嬉しいけど。


…やっぱりお母さんの質問攻めが怖かったんだな…



「言っとくけどオレはちっとも悲しくないからね。

名前ちゃんと一緒にいれて嬉しいんだから。

…泣いてもいいよ。今はオレと一緒だからね。

…こうして抱きしめられて胸を貸せるなんて、オレ幸せだよ…」


オレはキミを包み込むように抱きしめて、すっきりするまで泣けばいい…そう思っていた。

思いっきり泣いた後って景色が変わって見えるだろ。

オレはもう何年もそんな経験してないけど、小さい頃、大泣きした後は確かにそうだったことを覚えている。

変わるのは景色だけじゃない…。

気持ちが変わるんだ。

気持ちが変わるから景色が変わって見えて、そして新しい気持ちで見る景色は涙の分だけ前よりずっとキラキラしてる。


キミの景色がそうなればいい。

キミの瞳に映る景色が前よりずっと輝いてたらいい。

そこにオレがいれば尚のこといい。




…。

「もしかして…もう大丈夫?」

オレの腕の中にいる名前ちゃんにそう声をかけた。

すっかり泣きやんでいるように見えるのに、名前ちゃんはじっとそのまま動かない。

「気まずくなんてないから顔上げなよ」

オレはクスッと笑ってそう言った。

「…」

頭を動かして顔の向きを反転させたる。

顔を上げるかなと思ったけれど、またそのままじっと動かなくなった。

オレはその様子がかわいくってクスクスと笑った。

抱きしめたまま後頭部をそっと撫で、つむじにチュッとキスをした。

またシャンプーのいい香りがオレを包み込む。

夢みたいだ。



いつまでもこうしていたいけど…

意を決してキミをオレから引き離す。

急に体を大きく動かされ、

「あ…」

と小さな声を漏らす名前ちゃん。

オレは片腕をキミの脇から背中、反対の脇へと回す。

もう片方の腕はキミの膝に回して両足共に抱え込む。

両腕を引き上げてキミを持ち上げる。

同時にソファーに深く座り直し、キミの体をオレの足の間に座らせる。

膝に回した腕を腰に巻き付けて横抱っこ完成。


真ん丸に見開かれた名前ちゃんの目をオレは上から覗き込んだ。

「真っ赤だよ」

そう言って親指の腹で涙の後を丁寧に拭った。

ついでに下唇も輪郭をなぞるように撫でた。

ついでに顎も撫でた。

ついでにほっぺも、ついでに鼻も。

何もかもが愛おしい…。




キミの胸が上下して呼吸をしていることを伝えている。

オレはキミの呼吸を感じたくて、じっとその上下運動を見つめていた。


ふとオレは、今なら何をしても抵抗しないんじゃないか…そう思った。

視線をわずかに上にずらし、のど元を見つめる。

泣いた余韻が未だキミの体に残っているようで、小さく鼻をすすり上げた。

顎が上下し喉が揺れた。


途端、抗いがたい衝動がオレを襲った。

腕に力がこもり、呼吸のために上下する部分を鷲掴みしたくなる。

細く白い首筋にむしゃぶりつきたくなる。

押し倒して身に纏うすべての物をはぎ取りたくなる。



…オレは大きく息を吸った。

ゆっくり瞳を閉じて何度も深呼吸を繰り返す。

…そしてそんな衝動のすべてを押し殺した。





「神くん、ごめんね。泣いたりして…でもありがとう」

名前ちゃんはオレの肩に顔を寄り添わせ、照れくさそうにそう言った。

涙で潤んだキミの瞳は光を含んでいつもより輝いて見える。

「いいよ。オレのこと好きになってくれれば、なんでも許しちゃう」

オレがニコッとしてそう言うと、キミはふふっと笑い返した。


「オレのこと好きって言ってよ」

オレがそう言うと、

「嘘は吐かない主義なの」

って言った。

「じゃあ嫌いって言ってみて」

と言ったら

「それも言わない」

って言った。

「素直じゃないな…」

って言ったら

「素直だよ」

と言った。

そして

「今日はキスしないんだね」

と不思議そうに言った。

「してほしいの?」

オレがそう言うと

「そうじゃないけど。

いつも何かにつけてしてくるから」

と口を小さく尖らせて言った。

「キスしたら、今日はもう止まれないから…」

「…じゃあ、絶対しないでね」

そう言って、よいしょっと言いながら体を起こしオレの膝の間から抜け出そうとする。

「待って、やっぱり…」

嫌がられるとどうしてもしたくなる。

両手を掴んで組み敷きたくなる。

キミの脳内をオレ一色にしたくなる。

肩を掴んで顎を引き上げゆっくりと唇を合わせた。

あんなことを言った直後だから抵抗されるかと思ったけれど、そんなことはなかった。

オレもその先の衝動をうまくコントロールして、キスまでで留めることが出来た。


唇をキミから一ミリだけ離し、閉じられた瞳をじっと見つめた。

気配に気付いたようにキミが瞳を開く。

距離の近さに目を見開き、ビクッ体を跳ねさせた。

後退りしようとする体をグッ押さえて距離を保つ。

キミの瞳の焦点がオレの瞳に合わさっていく。


オレが目を細めると、キミも目を細めた。


「好きだよ、名前ちゃん…」

オレがそう囁くと、

「…うん」

そう頷いた。
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