カルピスソーダ
□♯29
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11時半にラーメン屋の傍のコンビニで…。
それが伊藤が名前ちゃんと取り付けた約束だった。
その時間にそこへ行くのはオレな訳だけど。
12時までだった練習を1時間繰り上げて11時までにした。
もちろん始まりも1時間早めた。
そんなことしたのは、はっきり言って初めてだった。
自分の都合でそんなことをするのは、後にも先にも今回限りないだろう。
だって…
12時半に待ち合わせてそこからゴチャゴチャ話し合いをしてたら、名前ちゃんがお腹を空かしてしまうだろう!?
ただでさえお腹を空かせているわけだから、そんなとこで時間取ってたらますますお腹が空いちゃうわけで…。
申し訳ないので、1時間早めることにしてしまった。
そしてオレは今まさにそのコンビニを目の前にしていた。
雑誌を読みながら、なんの疑いもなく伊藤を待つ名前ちゃんがオレには見えていた。
こんなときであっても、その姿を見るとオレは心がほわ〜と温まるのを感じた。
でも次の瞬間には、オレの顔を見たらその顔が曇ってしまうかもしれないと思ってしゅんと切なくなった。
ポジティブシンキング!
恋愛バイブルなる本を読んでおいて良かった…。
心を奮い立たせ、コンビニのドアを開けた。
背後からそっと近づき、
「名前ちゃん」
と、声を掛けた。
ビクッ!
名前ちゃんの肩が震えた。
雑誌を手のひらに載せたままゆっくりと振り返り、オレと目が合った。
「…藤真くん」
名前ちゃんがオレの名を呼んだ。
「いいかな?」
本当は始めにオレがここに来た事情を説明しようと思っていたのに、そんなことはすっかりぶっ飛んでそう言っていた。
名前ちゃんは雑誌をラックに戻すと、
「…うん」
と頷いた。
そして、オレたちはコンビニを出て何となく海へ向かう道を歩き始めていた。
「卓ちゃんは来ないんだよね」
オレが言葉を発するタイミングを見計らっているうちに、名前ちゃんが呟くように言った。
「うん。ごめん…」
「ううん。もしかしたら…って思ってたから」
ぎこちない空気がオレたちの周りを包んで、秋晴れの澄んだ空は空々しささえ漂わせて見えた。
「分かってたの?」
「半信半疑…かな。
卓ちゃんがお昼一緒に食べようなんて言い出すこと今までなかったからね」
「オレが伊藤に頼んだんだ。
無理にさせたことだから、怒らないでやって」
「分かってる…」
「…」
オレは俯き、再び沈黙が訪れた。
「今日、私が来たのは、藤真くんに謝らなきゃいけないことがあったから…」
沈黙を再び破ったのは名前ちゃんだった。
オレは自分の言いたいことがまるで言えないままだった。
情けないなあ…と思っても、うまくタイミングが取れなかった。
「謝りたいこと?」
名前ちゃんが発した言葉は、オレの心の渦をピタっと止めた。
「学校で聞いた藤真くんのうわさ話…」
名前ちゃんはオレの横を歩きながら、俯いて言った。
オレは、名前ちゃんの憂いを取って上げたくて極力明るい調子で言った。
「こないだ言ってた?
オレなら気にしてないよ。
うわさって止めようがないから…。
オレのこと知ってる人が本当のこと分かっててくれればそれでいいって思ってる」
「そっか、そうだよね。
藤真くんはしっかりしてるんだね」
「しっかり?…どうかなあ…。
オレの場合、たてられる噂の数が半端ないから」
ハハッと笑って、ハッと口を押さえた。
噂の人みたいな発言はしたくない。
「だよね」
「…」
「藤真くんがすごい人気者だってことは知ってるよ。
それは誰に聞かなくても分かる。
あのね…。
夏休みに花火を一緒に見に行った次の日、
学校で別のクラスの子に、
“翔陽の藤真っていう人と付き合ってるの?”
って聞かれたの。
見かけたことがある程度の子だったんだけど、私のクラスにやってきて、席の前で。
“付き合ってないけど”
って言ったら、
“だったらいいけど、藤真ってモテるし、彼女切れたことないし、それに今は好きな子もいるらしいよ。
そもそも、許嫁みたいのがいるらしいし。
あなたみたいな子は、ちょっと優しくしてもらうと勘違いしちゃうのかもしれないけど、気をつけた方がいいからね。
傷物にされて捨てられる前に距離とった方がいいと思うわよ”
って言って、私が呆気にとられて何も言い返せないうちに帰って行っちゃったんだけど…。
クラスの友達は、
“信じなくていいよ。ひがみだよ”
“藤真くんてそんな人じゃないんでしょ?
あんな人より自分の感性を信じて”
って言ってくれたんだけど。
悪意かもって分かっていながらも、それに引きずられてどんどんそっちに心が傾いていっちゃうのなんて、藤真くんには分からないよね?
私って心が弱いから…。
それに、正直言うとちょっとショックだったの。
…藤真くんに好きな子がいるとか、許嫁とか。
花火大会の後、藤真くんてもしかして私のこと…?って思ったりもしたんだけど、その話を聞いてそんな訳ないんだって思うようになって。
浮かれてた自分がバカみたいで…。
心のどこかで、藤真くんは平気で女の子にハグとか手を繋いだりとか出来る人なんだって思うようになっていって。
藤真くんは、私が卓ちゃんの姉だから親切にしてくれてるんだって思い込むようにしてた。
振り返ってみたら、すっかりあの人の思惑通りな自分になってて…」
いつの間にか目の前には秋の海が広がっていた。
良く晴れた今日は海面がキラキラときれいに輝いて、渡る海風も真昼のせいか心地よく温かかった。
オレたちは立ち止まり、名前ちゃんは俯いて唇を噛みしめていた。
「あの人が悪いんじゃなくて、流されやすい私が悪いの。
最近、友達が調べてきてくれたんだけど、あの子の友達に翔陽高校の子がいて、その子が藤真くんのこと好きだったみたい。
私と藤真くんが一緒にいるところを見たらしくって、制服で高校は分かるし、私が卓ちゃんの姉ってこともみんな知ってるって」
「あっという間だな」
正直、女子の情報網の凄さに呆れるより驚かされた。
「友達が調べてきてくれた話にはまだ続きがあって…。
私にイヤミを言いに来た子もね、翔陽の友達に連れられて行ったバスケの試合で藤真くんを見て、藤真くんのこと好きになっちゃったらしいよ。
興味関心のない人の噂なんてしないもの。
…だから。
だから…謝りたいって思っていたの。
本当に…ごめんなさい」
名前ちゃんは俯いたまま頭を下げ、また俯いたままの姿勢に戻った。
言った人物が悪意を込めたのは分かる。
名前ちゃんにダメージを負わそうとして嫌な言い方をしたんだろうな。
いくらオレのことが好きだからって、人を傷つけていいわけないだろうってのに。
よりにもよって名前ちゃんを傷つけるとは…クソッ!
誰だか知らんが許さん!!
だけど…名前ちゃんを“傷物にして捨てる”以外はあながち嘘でもないから否定のしようがない………。
イヤ!勝手に来て勝手に去って、捨てられてきた(?)のはオレだっつうの!
しかし…。
“好きな子がいる”って言ったのはオレだし、“許嫁”もオレが発信した嘘だ。
結局のところ、元を正せばオレが名前ちゃんを傷つけてるわけで…。
ん!?
名前ちゃん、なんで傷ついたって言ったんだっけ?
…オレに好きな子とか許嫁がいるかもしれないって聞かされてショックだったとか言ってたような…?
それって…それって…それって…
もしかして…もしかして…もしかして…♪
…ちょっと待て!
その前にオレにもするべきことがある!!