カルピスソーダ
□♯17
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オレたちは文房具屋へ行くために、エスカレーターで更に階上へ上った。
さっきはボールペンのことなんてすっかり忘れてて、まだ片道が続くなんて思ってなかったから、エスカレーターのお楽しみはあれきり終わりかと思っていたけれど…。
やったぜ!
エスカレ−ター天国♪
名前ちゃんを先に乗せてオレがすぐ後ろに乗り込む。
さっきのバカップルみたいに腰を掴んだり足を撫でたりはできないけど。
後ろに立つくらい、いいんじゃないかって。
ギリギリ体のラインは触れない位置は保ってるし。
名前ちゃんのコロンの香りがふんわりと漂って、胸がドッキンドッキンするけど。
ターンしてエスカレーターを乗り換え、オレがキミの後ろに乗り込んだ途端にクルリと振り返ってきた。
乗り始めの平らなスペースから階段式に切り替わり、名前ちゃんの位置が徐々に上がってきた。
ち、近っ!
お互い同じことを思ったようで、名前ちゃんはクルッと前に向き直った。
不意の出来事にオレの体は一気に緊張を高める。
ドッキンドッキンしてた鼓動は、ドキドキドキドキ…に変わっている。
エスカレーターって高さ二十センチくらいか?
目の位置、唇の高さもほとんど一緒だったよな…。
キ、キスしちゃうかと思ったぜ。
ふうぅ…。
唇を手で塞ぎため息を吐く。
名前ちゃんはギリギリまで前に詰めると、また振り返って
「文房具にこだわりってある?」
と聞いてきた。
「特にはないけど、今使ってるものは全部使いやすいと思ってるよ」
オレはそう答えた。
エスカレーターを下りるとすぐ右側が文房具屋だった。
ボールペンは店舗に入って、わりとすぐの棚に大量に並べてあった。
オレは文房具には興味はないけれど、使いやすさには多少の拘りがある。
花形、一志、高野、永野、その他の部員、学校でヤツらのところへ訪ねて行くとき、必ずヤツらの文房具の試し書きをしてみる。
すると、意外なほど使いやすさが違ったりするのだ。
同じブランドで揃えれば良いってもんじゃないってことも知った。
コレはアレの何ミリボール、アレはコレの何ミリボールみたいにそれぞれあるんだ。
オレはヤツらの使っている物の中で、オレにピッタリの使い勝手を揃えることに成功した。
秘密って訳じゃないけど今のところ誰にも教えていない。
「藤真くんはどれ使ってるの?」
漠然とボールペンの群れを眺めていた名前ちゃんが、さして興味もなさそうに社交辞令的に聞いてきた。
それでもオレは、待ってましたとばかりに一歩出た。
来た来たっ♪
今日初めてオレの秘密を公開しちゃうよ!
「ちなみに名前ちゃんはいつもどれ使ってるの?」
「私は適当なんだけど…」
ダメダメそんなことじゃ、勉強の効率が落ちるよ。
「そうそう、コレコレ。今はコレ使ってるの。友達が結構使いやすいよって言ってたから」
そう言ってボールペンの大量な束の中から一本引き抜いた。
オレはそれをじっと見て確認した。
ああ、それねぇ。
オレが以前使ってたヤツだな。
ちなみに永野仕様。
まあまあいいけど、まだまだなんだな。
そしてオレは
「オレはこれ!」
と言って一本のボールペンを取り出した。
「ふーん。…それ、いい感じなの?」
名前ちゃんは半信半疑な声でオレに尋ねた。
印籠のように差し出したところで見た目は周りのと大差ないからね…。
「うん。良かったら使ってみて!絶対オススメだから」
オレにも分かるよ、キミの気持ちは。
何の変哲もないって思ってるんだろ。
だけど、一度それを使ったらキミは一生それを手放せなくなるから…ふふふ。
オレはキミに質問をする。
「ねえねえ、消しゴムはどれを使ってるの?シャーペンは?鉛筆は?定規は?」
実のところ、オレが人のところを渡り歩いて試していた物はボールペンだけじゃなかった。
シャーペンやその芯、鉛筆の書き心地、消しゴムの消し具合や消え具合、定規の引きやすさや扱いやすさ、下敷きや筆入れその他諸々の使いやすさ、取り扱いやすさの研究を怠らなかった。
そしてオレは、オレにとってのベストを手に入れている。
そして今、
「これはこれ、これはこれ、これはこれ…」
と、名前ちゃんにそのほとんどを教えていった。
試し書きが用意されている物は全部お試しさせた。
すると思った以上の反応が返ってきて、
「わあ、すごい。何これ!藤真くんすごいよ。きゃあきゃあ」
と大喜びだった。
結局、全部覚えきれないと言うことで買うときには一緒に、と言うことになった。
オレと一緒にいるとこんなにメリットがあるんだよ。
これだけだとなんだかちっぽけなメリットだなとも思うかもしれないけれど、オレと一緒にいればもっともっといいことあるんだから。
オレは超ご機嫌だった♪
オレたちの周りだけバラの花が咲き乱れてキラキラ光ってるんじゃないかと思った。
だっていい匂いがする、明るくて眩しくて光が溢れてる。
オレはキミとのときに夢中だった。
狭い通路であれやこれやとやってるうちに、いつしかキミの肩がオレに触れても、逆にオレの肘がキミに触れても違和感なくいられるようになった。
ただ、オレたちの後ろを他の客が通り過ぎる時だけはどうしようかと思った。
キミが腕を自分の身にしまって縮こまるようにしたので、オレはなるべく棚に身を寄せた。
そして指先をたたんだ腕をキミの背中に回し、触れないように固定して、通行人がキミの体のどこにも触れないようにした。
文房具屋でオレたちはかなり楽しんだ。
最終的に赤ペン一本の購入で店に迷惑をかけたかなと思ったけれど、レジの店員は嫌な顔一つぜずに対応してくれた。
多分、男だけだったら違ったんじゃないかと思った。
店を出て時間を確認すると、まだ二時半にもなっていなかった。
「どうする?」
オレが聞くと
「何か用事ある?」
逆に聞かれた。
用事なんて作ってるわけもなく
「ないよ」
と答えた。
名前ちゃんもこれ以上買う物はないと言って、
「今日は買い物に付き合って貰う予定だったから、このまま帰ってもいいよ」
と言った。
オレを最大限配慮してくれてる言葉と分かっていても、身に突き刺さるような悲しみを覚えた。
オレはまだ帰りたくないし、名前ちゃんを帰したくもないんだ。
オレとしては、最後にコーヒーショップで飲み物を飲んで、家まで送るというのが今日の最終のプランだった。
名前ちゃんはさっき昼を食べたばかりだからコーヒーショップ行きはまだ早すぎるし、オレもまだ二人で他のことをして楽しみたいと思った。
ただ、帰したくないとか一緒にいたいとか言うには、まだオレたちの距離は遠いように思えた。
さっき用事はないと言ってしまったし、頭も真っ白でさっぱり何も浮かばなかった。
ただもっと一緒にいたい、それだけだったから…。
オレたちの周りに枯れ葉が舞い散り始める。
トレンチコートを着たオレたちは互いに向かい合い立ちつくしている…オレにはそんな風景が見えた。