カルピスソーダ
□♯7
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「いらっしゃい♪」
そう言ってぴょこんと現れたのは名前ちゃんだった。
不意打ち的なその登場にオレの心臓がドクンと跳ね上がる。
心の中で“わあああああ!”と大騒ぎする。
後で舞踏会的に階段から降りてくるとか思ってた訳じゃないけど、後から来るもんだと勝手に思い込んでいたのは確かだ。
「あ、きれいなカッコしといてって言ったのに…。スカート穿いてきてよっ」
伊藤が淡いピンクのTシャツに紺の短パン姿の名前ちゃんに小声で物申している。
「ダメだった?パフスリーブだからいいと思ったんだけど」
名前ちゃんは着替えてくる様子は更々見せず、目を白黒させて伊藤に受け答えしている。
十分かわいいよ、すごくいいよ、素足がいっぱい見えててウットリだよ…。
伊藤にそう言ってやりたいところだがここはぐっと我慢する。
「伊藤。オレたちはお姉さんを見に来た訳じゃないんだから、何を着てても大丈夫だぞ」
妙にゆっくりとした口調で言い含めるように言う花形に、伊藤は
「あっ…、はい」
振り返って返事をし、黙った。
「あ、そんなところにいつまでも…。
どうぞ上がってください、遠慮なく」
首を傾けてニコッとする名前ちゃん。
オレがその笑顔をぼんやり眺めていると、背中を押され玄関にグイッと入れられた。
「上がるぞ藤真」
一志がオレの耳元で囁いた。
「お邪魔します!」
家の奥にも聞こえるように大きなはっきりとした声で言い、すでに用意されていたスリッパに履き替え玄関ホールに上がった。
伊藤は先に上がって名前ちゃんに何かを言うと家の奥に入っていった。
一番先に上がったオレに名前ちゃんが笑いかけた。
オレだけに笑いかけてくれた。
オレもつられてうっとりと微笑み返す。
夢見心地で一歩でも二歩でも近づきたかったけど、まるで体が動かなかった。
久しぶりに見る…と言っても今日で二度目だけど…名前ちゃんはオレが想像してたよりも、毎晩妄想してたよりもずっとずっとかわいかった。
よく思い出は美化されるって言うけれど、オレの場合は違った。
本物がこんなにまぶしいなんて、実物がこんなにかわいいなんてオレはとんだ迂闊者だったと本気で思った。
オレたちが玄関ホールに上がるのと同時に、伊藤が最奥より一つ手前の扉を開けて顔を覗かせた。
伊藤の脇をすり抜けてエプロン姿の女の人がこちらに向かってやってくる。
「まあまあ、いらっしゃい!暑かったでしょう〜。
卓の母です。卓がいつもお世話になってます。
あら〜やっぱり皆さん大きいのね!
さ、こちらへどうそ〜」
そう言ってオレたちを出てきた扉の方へいざなった。
伊藤によく似た顔の“お母さんは”エプロン姿なのにすごく上品だった。
名前ちゃん、皆さんのお靴、直しておいてね…と小声で言ってまたオレたちに微笑みかける。
もちろんオレたちはその辺にも気を遣っているから直させるようなことはなかったけれど。
廊下を歩いている時に花形がオレに耳打ちした。
「目があったらすぐ挨拶だぞ」
普段のオレならそのくらい心得ているが、今日はそうアドバイスされて本当に助かった。
すっかり舞い上がって頭が真っ白になっていた。
そう、この先には“お父さん”がいる。
通された部屋に入るとそこはだだっ広いリビングだった。
どでかいソファーセットに壁に掛かったでっかいテレビ、奥には何人家族?と聞きたくなるようなダイニングセット。
「お父さん、いらしたわよ!」
そう声を掛けられてソファーに腰掛けていた紳士が立ち上がる。
オレはその方向を真っ直ぐ向いて、
「お邪魔します」
と頭を下げた。
花形と一志もそれに続いて挨拶をし頭を下げた。
それを確認してからオレは頭を上げ、下げていたバッグを下ろすと真っ直ぐに“お父さん”を見て
「翔陽高校バスケ部キャプテン、藤真健司です。いつもお世話になってます。今日はお招きいただきありがとうございます」
とまた深々と頭を下げた。
「同じく副キャプテンの花形透です、よろしくお願いします」
「同じく三年の長谷川一志です、よろしくお願いします」
二人も頭を下げた。
「そんな…さあさ頭を上げて。
いらっしゃい。良く来てくれたね。
卓の父親です。
お礼を言わなくてはならないのはこちらの方だよ。卓がいつもお世話になって。
君たちのことは卓からよく聞いているよ。最近では名前までお世話になったそうで…。
ああ、ほら、こちらに通して。お母さん、冷たいものを用意して」
「はいはい、ただいま!」
“お母さん”が奥へ消えていった。
ソファーに通され腰を掛けることを許されるオレたち。
ソファーには“お父さん”に向かってオレ、花形、一志の順で座った。
お父さんは名前ちゃんにどことなく似てると感じさせる雰囲気があった。
「いやぁ、感心するな。大学出の若者でもこんなに礼儀正しい子はなかなかいないよ」
行儀の良いオレたちをしきりに感心し褒めてくれる“お父さん”。
冷たい飲み物を持ってきてくれたのは名前ちゃんで、
「すぐご飯出来ますから、ちょっとお待ち下さいね」
とニコッとして言った。
ソファーの下に膝を付いて上目遣いにそんなこと言われたら…しかもいつの間にかエプロンしてるし……
花形がオレの背中をギュッとつねった。
「君が藤真くんか…」
オレの目を見つめ“お父さん”が不意に呟くようにそう言った。
オレはなんのことか分からずに
「はい」
と答えた。
「バスケ部のことは聞いているよ。監督が不在で大変だそうだね。
君がそれを学生でありながら担っているそうじゃないか」
膝に肘を付き組んだ両手を顎の下に置く。
前屈みの姿勢で“お父さん”がそう言った。
オレは背筋を伸ばし真っ直ぐに向き直って“お父さん”の目を見た。
「監督不在と言っても顧問の先生はいるんです。練習や試合の陣頭指揮はオレ…あ、僕が取ってる形になってますけど、実際はみんなで力を合わせてやってます。
一人じゃ絶対無理ですから。
三年のこの二人以外のスタメンや伊藤くん、ベンチ部員、その他全部員の力を借りて今までなんとかやってます。
これからも監督が来る日までそうやっていくつもりでいます。
…あ、すみません…、生意気言って…」
オレははっきりきっぱり物を言いすぎたと反省した。
せっかく心配してくれてるのにこんな言い方して…。
でもこれはオレが普段思っている偽りない気持ちだった…。
「大した心構えじゃないか。
全然生意気なんかじゃあない。
通りで卓が…。
卓とは一つしか違わないと言うのに、ましてや名前とは同い年なんて…。
大したもんだ、君も君の仲間たちも」
“お父さん”は両手を胸の前で組み直し、うんうんと頷いている。
瞳を細めてニコニコしている。
感心してくれるのは嬉しいけれど、オレたちは…オレはそんなに大層な人間じゃない。
なんだかすごく自分が恥ずかしく思える。
“お父さん”に圧倒的なものを感じるからだ。
「いえ、オレはそんなんじゃないです。
インターハイ予選では県の決勝リーグにも出れない結果に終わってますし…。
今年は優勝も夢じゃないって言われてるほど強かったのに…。
オレは全然…」
いつの間にかオレは俯いていた。
心のどこかでずっと言いたかったこと、懺悔したかったこと、胸の奥で支えて言い出せなかったことをなぜか今このタイミングで“お父さん”に言ってしまっていた。
「藤真はこう言ってますけど、オレたちの力不足が敗因ですから。
藤真じゃなかったら監督兼任なんてやってこれなかったはずです。
こいつだからこそみんな付いていってるんです」
「オレたち、冬は絶対結果を出ます。そのために毎日死ぬ思いで練習してます。
だからといってオレたちは勉強にも手は抜いてません。受験生ですし文武両道がオレたちのモットーですから」
一志と花形がオレのために一生懸命“お父さん”に訴えてくれた。
一志なんて普段大人しいのに…。
花形はナイスフォローまで入れてる…。
文武両道なんて、花形くらいのもんなのに…。
オレには二人の友情が痛いほど伝わってきた。
オレにとってはこれだけでも伊藤の家にお邪魔した甲斐があったって言い切れるくらいに価値のある経験だった。