拍手連載続きで名前変換無。
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デフォルト名は海桜(みお)
「 」
誰だろう、と女は思う。
聞き覚えのある声であるようにも思えたが反応するのも億劫だったのでそのまま動かずにいることにした。
「 、 」
今度は耳元に直接吹き込まれ、ぐらぐらと身体を揺すられているようだ。ざりざりと何かが刺さる感覚がする。痛いからやめて欲しいなぁ、とぼんやり思う。
「千紗様!千紗様!」
ようやっと、その声が何を言っているのかを聞き取れた。千紗、さてどこで聞いた名だったろうか、確かあの座敷牢に手鞠を抱えて唄をせがみに来ていたあの子だったか寂しい寂しいと泣きながら賽の目を転がしていたあの子だったか。
(否、ワタシを(が)喰らい、呪われたあの子の名だ)
そこまで思考して女はようやく目を開いた。まず写ったのはやけに赤い、不吉さを湛えた夕焼けの空と真っ黒に朽ち果てた大樹。次に目の前にいるのは剃髪の男が。男は女を見て目を見開いた。
「千紗様・・・・・・では・・・ない・・・・・・?」
「・・・・・・如何にも。しかし、確かにこの身はその千紗であったよ」
本来ならばやさしい栗色であるはずの瞳が、深海のごとき闇蒼色になっていて、纏う気配は異質なモノ。本能が忌避する、おぞましき気配。老婆の如くひび割れた声は彼の知る彼女からはほど遠い。
「ならば、千紗様は───」
「呪われたまま、あの炎で死んだ」
むくり、と起き上がった女はよくよく見れば煤や血で汚れてはいるものの、怪我らしき怪我は一つもなかった。
「『コノ子』の家族は死んでいるのかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・千征様は亡くなられた。千鶴様は私が保護した。薫様は死体は無かったから恐らく生きているだろう」
男は忌々しそうに女を見やりながら実にそっけなくそう言う。彼もまた傍系とはいえ雪村に連なる鬼。かつて『雪村千沙』であった彼女が成り果てたモノの正体を彼も知っている。
「早速嫌われたようだね・・・まあいつものことか」
女は笑った。
ほんの少し、淋しさのような何かを滲ませて。
「そしてワタシはどうなるのかな?また何処かに閉じ込めるか、喰らうのか、拷問するのか、殺すのか?」
その問いは物騒でありながらも驚くほどの軽さで紡がれる。なぜならそれらは女にとって日常であったからだ。
「いいや、貴女には千鶴様の為にもこちらに居て戴く」
慇懃無礼に敬語でそう言う綱道の瞳には微かで確かな狂気があった。
「・・・・・・そう、ワタシはアナタと家族ごっこをすればいいのか」
ふ、と女の深すぎる深海色の瞳が柔らかく、冷たい茶色に変わる。諦めたようにため息を吐いて彼女は告げた。
「海桜。それが『ワタシ』を示す名前」
その名は彼女が彼女である唯一の証にして唯一の祝福。例えどうしようが消えはしない、彼女を顕す言葉。雪村千沙が死んだ以上、『中身』が変わってしまった以上、もう女は雪村の鬼ですらない。
「では海桜。家に帰ろうか」
何て空っぽな笑みだろう。
何て虚ろな眼差しだろう。
何て狂った───
「これから私達は家族だ」
そんな彼ら鬼にとって【おぞましき正体】である彼女に笑いかける綱道が何を想いながらそう言ったのか、知る者はきっと、誰もいない。
涸れた産声が這い出づる
(枯れ果てぬ狂気は灰より来る)