本棚1

□波の中で泡になる
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ざん、と波がゆっくりと引いて行く。


私はある浜辺に来ていた。海水浴場だったが寂れてしまったが故に放置され、たまに花火やら爆竹やらで遊ぶ不良や犬の散歩の人くらいしか来ないお世辞にも綺麗とは言い難い海だ。それでも引き潮になると驚くほど遠くまで行くことができる。小さい頃からそれが好きで私は嫌な事があれば此処に来るのが常だ。


「あーあ、フラれちゃったか」


今回の理由はさっきの言葉からも分かるが単なる失恋だ。まあ気になるなーという程度だったからそこまで傷付いてはいないのだが。ただ全く傷付かないかと言われればそんな訳でもないわけで。


「はぁ・・・」


深く息を吐けば潮の香りと独特のプラスティックと何かが混ざったような香りが鼻腔を抜けていく。少し大きめの砂利や海藻、ゴミなどが何も履いていない足にまとわりついて不快だが気にせずに前へ進む。


そうすれば普段は見えない波紋の刻まれた綺麗な海底(うなぞこ)が晒される。まるで新雪を汚す子供のようにべしゃり、と乱暴に波紋を消した。


べしゃり、べしゃり、べしゃり、と続けて蹂躙する。平らに均された一部にふと虚しくなって足を止めた。またしばらく進んで深さは足首より少し下になる。今度はぱしゃりと静かに足を沈めてみた。泡が一瞬だけ弾けて、拐われて、消える。


「何をしている?」


聞きなれた落ち着いた声と、引かれた腕に意識が戻る。振り返れば予想通りの人が居た。


「・・・はじめ」


幼馴染みであり同い年なのに保護者のような立ち位置にいる彼の名を呼ぶ。いつのまにか夢中になっていたらしい。それとも波音に消されて足音に気付けなかったのか。


「いくら干潮でも危ないからやめろといつも言っているだろう」


「ごめんなさーい」


へらりと笑って謝ってもはじめの表情は変わらない。呆れと心配の混ざった無表情。彼の蒼い目は痛いほど真っ直ぐ私を射抜く。


「このままでは風邪を引く・・・帰るぞ」


「えー・・・あともうちょっと!引き潮が終わるまで!」


きゅ、とはじめの袖を引いてお願いすれば渋々ながら許してくれる。だから嬉しくなった私は今度ははじめの腕を引いて先に進む。制止する声なんて聞こえない。もっと、もっと、遠くに、行けるところまで───


「っそこまでだ」


掴んでいた腕が離れたかと思えば今度は力強く引き寄せられ、私ははじめの腕の中に居た。


「・・・・・・あ、」


気付く。もう膝より上の深さになっていた。スカートな私はともかくはじめは違う。浸かった所までずぶ濡れになってしまっている。


「ごめん、はじめ」


聞こえるのは漣とはじめのとくり、とくり、という心臓の鼓動。


『人は海から産まれて海へと還る』らしい。羊水が海水とミネラル比はほぼ同じだからか、原初の生き物が海から産まれたからなのか古来から海は混沌、始まりの象徴であり『女』の象徴だ。はじめは男だけれどその心地よい場所はまるで揺りかごのようで。


もっと、もっとと視界を閉ざして擦り寄れば彼は仕方ないなとため息を吐きながらもぎゅうっと抱き締めてくれる。


「・・・・・・あったかい」


「・・・時期を考えろ。身体が冷え切ってしまっているではないか」


心底想う───やっぱりはじめが一番暖かい。


びゅうっと海風が私達を通り過ぎ、その冷たさにふるりと身体が震えてしまった。


「もう波が満ちて来ているな──戻るぞ」


腕は離れ、私は閉じていた目を開ける。ほんの少しはじめの頬が赤い──きっと太陽の所為だけじゃないその反応に少しだけ笑って、差し出された彼の手をとった。







ばしゃん、ぱしゃり、ざぷり、と二人分の足音と満ちていく、波。自然と絡み合った指と、前を行くはじめ。くしゅり、とくしゃみをした私に上着を貸してくれたからか彼の格好は少し寒そうだ。


「・・・やっぱり汚いね」


戻る度に見える、増えていく残骸。花火や発泡スチロール、流木や海草、クラゲみたいなゼリー状の袋や貝殻、バーベキューの後の食べ滓やペットボトル。すい、と泳ぐ魚に紛れる『死骸』たち。


「・・・・・・昔ほど頻繁に掃除も行われていないからな」


そういえば、と思い出す。海は始まりと同時に『死』も現すのだった。波も、泡も。


「ねえ、はじめ」


「何だ?」


「人が海から産まれて海に還るなら───私はどこに逝くんだろうね?」


ほんの少し、センチメンタルになっている所為かふと、そう思ったのだ。私は母の海を破って産まれ、こうして生きている。なら、私が終わる時、どの海へ還るのだろう、と。


「さあな・・・・・・そんな事を考える暇があるならもう少し真面目に生きてみたらどうだ」


「・・・・・・・・・そだね」


はじめらしい、真面目な答えだ。いつも私は幼馴染みである彼に引っ張ってもらってばかりだ。だから、つい、甘えてしまう。だから、離れられない。


「あまりフラフラするな」


「・・・・・・っ」


強くなる優しい拘束に、もしかしたらはじめが私の還る海(場所)なのかもしれない、なんて思いながらこの関係に溺れて行く。




(弾けて、消えて、還って、また孵る)



20110514



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