>カカイルSS
□彼の入院は彼に多少の影響を及ぼす
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「なんだって?」
守衛室の小さな窓口の向こうから、しわくちゃの老婆に睨みあげられ、イルカはごくりと唾を飲んだ。
「ええと、ですから。見舞いに来たんです」
「見舞い?」
語尾を上げるように発音して、老婆は小さな眼鏡を押し上げる。
青の警備服を身につけ、木の葉病院裏口の守衛窓口に座る老女は、イルカの見たことのない顔だった。しまったいつもの曜日にくりゃよかったとイルカは思い、汗の滲んだ掌をズボンにこすりつけようとして、下げたビニール袋の存在を思い出した。
「確かにここは病院で、あんたみたいな健康そうな男は見舞いくらいしか
用がないとこだけど」
がさりと音を鳴らしたビニル袋を一瞥し、老婆は顔を少しばかり緩める。
「それでも面会時間ってもんはあるんだよ。病人ならともかく只の見舞いなら明日にしな」
「や、でも、ですね」
「デモもストもないよ、こんな夜更けに非常識な。あんた忍だろ恥ずかしくないのかい」
今時珍しい台詞で言い返した老女は、やたらと迫力のある眼をしている。
前職はやり手のくのいちだったのかもしれない。
「聞いてんのかい、ちょっと」
「あ、聞いてます聞いてます」
「まったく。忍者もだらしなくなったもんだよ、時間一つ守れないなんて世も末だねこりゃ」
これではなしは終いとばかりに、小さな引き窓を閉めようとする老女に、イルカは慌てて手を伸ばす。軋みながら閉まろうとしたガラスがきりりと止まり、老女の眉間の皺が更に深くなった。
「あんたねえ」
「仰ることはごもっともです。ようくわかります。ですがその、アカデミーが終わるのが丁度このくらいの時間でして、生徒の見舞おうにもなかなかそれがうまくいかないんです」
イルカは一息に言って、勢いよく挟まれた手をちらりと見た。
力任せにガラス窓を押していた老女はふと力を緩め、イルカを見上げる。
「なんだい、あんた先生かい」
「はあ」
「生徒さんが入院して、それで見舞いに来たってことかい」
「いえ」
「……なんだって?」
「あ、生徒ではないのです。先生なんです」
先生、と老婆は呟き、手元の帳面をぱらぱらとめくる。
「木の葉病院守衛室」と札のついた窓口からは、暖かな空気が漏れだしている。部屋の奥でしゅんしゅんと湯気を立てるストーブを、秋の底冷えがひどい廊下に立ったままのイルカは心底羨ましく思い、服をかき合わせるようにしてもう一度窓口の主と向かい合った。
「いつもこの時間に来るのかい」
「はい」
「あたしゃあんた見たことないけどね」
「イズモさんにお世話になってまして。木曜日に、いつも」
「あのジジイかい。勝手なことばっかりしやがって」
「よくしていただいてます」
ふん、と老婆は鼻を鳴らし、めくっていた帳面をぱたりと閉じた。
「いないよ」
「は」
「入院してる先生なんていない。だからさっさと帰りな」
素っ気なく言われ、イルカは小さく息を呑んだ。