>トリコSS

□ボレロ
1ページ/3ページ

自室でくつろいでいたサニーの元に、妹が訪れたのは、そろそろ日も変わろうか、という時刻だった。



心地よく沈む革張りのソファに身をもたせ、手元のワイングラスを揺らしながら、サニーはバイオリンの音に体をゆだねる。繰り返すメロディ。弦楽器の和音。オーボエの高音。ひたすらに同じリズムを刻むスネアに支えられて、音楽は一段一段階段を上がるように進んでいく。
この独創的な曲が、サニーは好きだった。美しく、刺激的だと思う。
極上の酒を口に含み、広がる芳香に満足しながら、混ざりはじめた金管楽器のソロを迎える。そろそろ一番のお気に入り。トロンボーンの高音ソロ、という手前でその音はした。
ぷしゅう、という小さな音。


サニーは眉を上げる。部屋のドアロックが外れる音だ。インターフォンを鳴らさず、しかもセキュリティチェックなしで自分の部屋に入れる人間の数などたかがしれている。サニーは視線を動かした。
ワイングラスの向こうに姿を見せたのは、やはりというかなんというか、想像通りリンだった。サニーのただ一人の妹。

ふらふらと、揺れるように歩いてきたリンは、部屋の主に視線を向けることなくそのままサニーの前に腰を下ろす。ソファにドスンと座り、はあ、と大きなため息をつくその姿を、サニーは一瞥した。
白のシャツに黒のミニスカート。それに黒いブーツ。シャツの胸元からは大きめのアクセサリーが覗いている。イミテーションのゴールドにパール。耳元には合わせたようなリングのイヤリング。
珍しく外出してきたらしい。
サニーは色鮮やかな髪を掻き上げ、鼻をひくつかせた。

「つくしくねー……」

雑音にソロが消えてしまう。サニーはテーブルに置いてあったリモコンを持ち上げた。ひとつふたつ、音量を上げる兄を、妹がちらりと見る。


「……お水、ほしーし」
「自分でやれ」
「だるいんだしー……」
力のない声に、兄は妹が部屋を訪れた瞬間から気づいていた事実を口にする。
「酒飲んできたな」
「少しだし」
「飲まれるくらいなら口にするな。つくしくねー上に失礼だし」


酒に、という兄に、わかってるし、と妹がバツが悪そうな顔をした。
まったく、と呟いて、サニーはテーブルの上にあった水割り用のグラスを取り上げる。トングでアイスブロックを一つ二つ挟み、ミネラルウォーターを注いだ。
からん、と鳴った音に少し気分が良くなった。


「ほれ」
「ありがと」


妹はのろのろと手を伸ばす。グラスを受け取り、口をつけ、ふう、と安堵のような溜息をついた。


「お兄ちゃんの手、いいし」
「……あん?」
「きれーに動くし。触覚もいーけど、手もいーと思うし」
サニーは顔を顰める。
「っだし、んだいきなり」
「褒めてるんだしー。素直に喜んだらいいし」
「……きしょ」


そっぽを向けば、ふふ、と小さく笑った妹がグラスを揺らしながら言った。


「松もいってたし。食事する時のお兄ちゃん、きれーだって」
音楽にまぎれそうになった台詞の中、聞き捨てならない単語にサニーは顔をあげた。
「ああ? 松ぅ?」
「そ」妹はいたずらっぽく笑う。「今日のお酒の相手だし」
ああ? と今度は大きく声を上げた。


「まてまてまて」
「なんだしー」
「なんだってなんだ。え? 松? なんで?」
「誘われたからだしー」
けらけらと妹は笑う。サニーはまじまじと妹を見た。

「まえ、いつから」
「いつからってこともないし。こないだ来た時メルアド交換したんだし」
「んだと」
俺だってしてないのに! とサニーは内心呻く。
「妹よ」
「なんだし」
「お兄ちゃんに詳しく話してみなさい」
「口調が変で気持ち悪いしー。あ、トロンのソロ終わるし」
「んなもんどーでもい!」


今度は触覚を使ってオーディオを落とす。ぷつんと途切れたボレロの途中、可笑しそうに笑う妹の声が響いた。
さあ何を聞くの? とばかりに待っている妹はものすごく人の悪い顔をして笑っている。その余裕たっぷりの顔に苛つきつつも、兄はとりあえず一番大事な事を確認して見た。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ