Dream

□虚しい純情
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花井梓は、ずっと完璧だった。

野球部では4番でキャプテン。
勉強もできて、人付き合いも上手。
整った顔立ち、高い背丈、程よく筋肉がついて引き締まった身体。

みんなの、人気者。

彼が絶望している所を、私は久しく見ていなかった。

私が待ち侘びた絶望は、嵐のようにある日突然現れた。
田島悠一郎は、花井梓にこの世で最も残酷な絶望をもたらした。

梓は田島くんと出会ってから、立派に伸びていた鼻を見事にへし折られた。
いや、自信と実績によって積み上げられた鼻の高さだったのだけれど、いつの時代も上には上がいるものだ。
梓も忘れていたそのことを嫌というほど思い知っただろう。

田島くんには感謝している。久しぶりにこんなにも惨めで哀れな花井梓を見られたのだから。
ただ、鼻をへし折られたって梓はかっこいいままだ。たまらなくかっこよくて素敵で、愛おしい。

惨めな彼を見られれば諦められると思ったのに。

…うまくいかない、なあ。


「花井」
「なに?」
「今日もかっこいいね」
「はあ!?おまっ…からかってんなよ!」
「はは、本気なのに」

冗談としか受け取らないのはそっちでしょう、まるで私が嘘つきかのように言うのはやめてほしい。

「ねぇ、花井」
「なんだよ」
「ピアノ、また弾いてよ」
「別にいーけど…お前本当にオレのピアノ好きな」
「うん、好きだよ」

梓が好きなんだから梓が弾くピアノも好きに決まってる。
ピアノに触れる指先と、楽譜を見つめる横顔が特に好きだ。

「花井」

梓、と呼ぶなと言われて何年たったのだろう。
いつまで私は、大切なものを奪われたまま生きなければならないのだろう。

「なんだよ」
「なんでもなーい」
「はあ?」

なら呼ぶなよ、と呆れたように私に背を向けて梓は長い足開いて歩き出す。

このままあの大きな背中と反対方向に進んだら、二度と彼と会わなくてすむのかな。そうしたらもう、こんな惨たらしくてみすぼらしい気持ちにならなくていいのかな。

そっと後退りする。じゃり、とローファーの靴底と石が擦れあって嫌な音をたてた。
梓が振り返って私の名前を呼ぶ。

なにやってんだ、遅れるぞ。
その言葉に吸い寄せられるように私の二本の足は前へ動き出す。

あまりにも馬鹿らしくて、笑ってしまいそうだ。

自分は私の苗字じゃなくて名前を呼ぶんだから、勝手な男だ。
私がもう名前で呼ぶなと言ったらひどく傷ついた顔をして何でだよ、意味わかんねぇ、と駄々をこねるだろうに。

自分がひどいことをしているという自覚が無いのだ。

このままじゃ私にいつか殺されたって文句は言えないのに、それさえもわかっていないのだ。

「どうした、体調でも悪いのか?」
「ううん、大丈夫」
「あんまり無理すんなよ」
「うん、ありがとう」


私のものにならないくせに、優しくしないでよ。



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