水塊に溺れる

□捻れる、赤い糸
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昼食を食べ終わったあと特有の少しの眠気に包まれながら、手を洗っていた。
ハンカチで手をしっかり拭い、スカートのポケットに戻す。
教室へ戻る道である踊り場へ出ると、ひとりの女の子が立っていた。

見覚えある、気がする。同じ学年の子だったような?
何してるんだろう、と思いながらも横を通る。
いや、通り抜けようとした。
私の腕が、彼女に掴まれるまでは。

「…苗字さん、ですよね」
「えっ、まあ、はい」

突然のことに変な返答をしてしまったな、と申し訳なく思っていると、ぐいっとそのまま引っ張られて向かい合う。
改めて見ると、かわいらしい子だった。
大きくてくりくりした目が、どこか潤んでいるように見える。

「あの…」
「はい」
「お、及川くんと…どういう、関係なんですか」

どう、いう…とは。…えっと、これ…は。
付き合ってるかどうか…聞かれてるんだよね?

こんなこと初めてで、どうするのが正解なのかわからない。
正直、私からは何も言っていないが、及川くんの私へのあからさまな態度で付き合っていることをなんとなく察している人も多いだろう。
恥ずかしさから及川くんを咎めていたが、いつの間にか諦めてしまっているし。

それに、わざわざ私のことを待っていたこの子の誠意に、応えるべきだと思った。

「えっと…お付き合い…して、ます」

パン、と音が鳴った。
殴られ、た。目の前の彼女に頬を叩かれた。
ただただ、呆然とした。息をすることさえ忘れてしまうほどに。

「私は…ずっと及川くんのことが好きなのに…!取らないでよ!」
「………」

止まっていた思考回路が、再びゆっくりと動き始める。意外と冷静な自分に、我ながら驚いた。

「だったら…その気持ちを伝えた方がいいと思う」
「…え?」
「あなたの正直な気持ちを、及川くんに伝えたらいいと思う」
「…なに、言ってるの?」
「えっ、だから気持ちを素直に伝えた方がいいんじゃないかと…」
「あなた…おかしいんじゃないの?」
「ひ、ひどい」
「そんなの、私が告白しても良いって言ってるみたいじゃない」
「えっ、だからそう言ってるんですが…」

いてて…と張られた頬をさすりながら言葉を返した。そこは熱を持ち始めて、腫れているような気がした。
あー、これ冷やさないともっとひどくなるやつだ。保健室行かなきゃ。

「及川くんが…私を選んだらどうするの?」

どうする。どうする、の。

及川くんの笑顔を思い出す。
好きだよ、と何度も紡がれた言葉を思い出す。
鮮烈に脳内を駆け巡るそれらに、くらりと眩暈がした。

私のこと、本当に好きなんだって言ってくれた。

嘘だと思ってるわけじゃないけれど。
それでも、心のどこかでまだ信じられてない自分もいる。

だったら私は、できることなんて何も無いのだろう。
こんな曖昧で中途半端な私が、及川くんの選択を強要することなんて到底できるはずもない。

「どんな結果でも、私は受け入れるよ」
「………」
「もういいかな?保健室に行きたいから」

彼女にぐるりと背を向けて、駆け足で保健室へ急ぐ。
どくどくと頬と胸が脈打って、ひどく気持ちが悪い。誤魔化すように唇を噛んだ。

追いかけてくる様子もない彼女が何を思っていたのか。

私には、知る由もなかった。




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