水塊に溺れる

□揺蕩う心臓
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「徹くんは何が好きなの?」

日誌を書きながら、それとなく及川くんに問いかけた。
日直になった私と及川くん。及川くんは私に日誌だけ書いてくれと言うと、それ以外のことを高速で終わらせて、私の前で頬杖をつきながらにこにことしている。相変わらず、顔が良い。

「名前ちゃんが好きだよ」
「………」

語尾にハートがついていそうなほどの、砂糖菓子のようにほろりと溶けそうな及川くんの甘い声。
…どうしてそんなにまっすぐ人に好意を伝えられるのだろう。驚きと感心で、思わず黙り込んでしまう。

「あり、がとう」
「えへへ、うん」
「えーっとね…例えば、食べ物とかは?」
「あ、そっち?」

てへ、と舌を出して笑った及川くんは、それでも様になる。まるでドラマの中の美形の主人公みたいだ。少し、羨ましいと思った。

「う〜ん、食べ物ならやっぱり牛乳パンかな」
「ぎゅうにゅうぱん」

意外な答えに舌足らずな発音になってしまう。
運動部の男の子って、やっぱりお肉とかラーメンとか…そういうがっつりしたものが好きなのかなと思っていた。思い込みはいけないなあ。

「意外、かも」
「うん、よく言われる」

眉を下げて困ったように笑う及川くん。するとぱっと表情を切り替えて、目を輝かせながら私の方へ身を乗り出した。

「名前ちゃんは?何が好きなの?」
「う〜ん、そう聞かれると難しい…」

及川くんに申し訳ないことしちゃったかも。誰かのことを知りたいって、難しいな…。

「好き嫌いないからなんでも食べるし」
「すごい」

よしよし、と及川くんの大きな手が私の頭を優しく撫でる。恥ずかしくて顔が熱くなったが、隠すように日誌に目を移して口を開いた。止まっていた手も動かす。

「こ、コーヒーとか…チョコレートが特に好き、かな」
「ああ、お家に行かせてもらった時もコーヒー飲んでたもんね」
「うん」
「そっか〜、ふふ、そうなんだあ〜」

いいこと聞いちゃった、なんてひどく嬉しそうにする及川くんに面食らう。
私のことを知れて嬉しい、のか。…やっぱり及川くんは物好きだ。

でも…私も、及川くんのことを知れて嬉しかった。
同じ気持ち、なのだろうか。

「徹くん」
「ん?」
「もっと、徹くんのこと教えて」
「…へ、」
「徹くんのこと、もっと知りたい」

こんなにも誰かのことを理解したいと思ったのははじめてで。

ああ、ひどく戸惑うけれど。この気持ちをとめたいとは思わないの。




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