水塊に溺れる

□こんにちは、アステリズム
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「おーい、苗字」

文芸部の友人と話していると、クラスメイトの男子から声をかけられた。はい、と返事をすると手招きされる。
ごめん、と友人に声をかけて小走りで彼の方へ向かった。

「岩泉が話があるってさ」
「うん、ありがとう」

手をひらりとあげてクラスメイトの男子は友達の輪の中に戻っていた。それを見送ってから視線を前に戻すと、そこには岩泉くんが立っていた。

「苗字、ちょっといいか」
「う、うん」

岩泉くんに連れられ、教室を出た。休み時間で混み合う廊下を抜け、踊り場に出る。
太陽が窓越しに差し込んで、暑いくらいだった。

「突然悪いな」

ううん、と首を振ったが、岩泉くんとこうやって話すのは初めてで少し緊張していた。

「あー、及川と付き合ってるって…本当か?」
「…誰から?」
「本人から」

…まさか及川くん、言いふらしたりしてないよね?
しまった、最初に約束しておくべきだったな…。
悪いことしてるわけじゃないけど、だからといってみんなに知らせたいわけじゃないんだよなあ…。

「どんなだ?」
「どんな…とは?」
「嫌なこととかされてねぇか?」

嫌な、こと。言葉を口の中で咀嚼する。
ぐるぐると今日までの記憶を逆再生してみたけれど、及川くんに不快な思いをさせられたことはなかった。

「及川くんは私にすごく優しくしてくれるよ」
「マジか」
「うん」
「付きまとわれてうざくねぇ?」

付きまとうって。吹き出しそうになって口をかたく結んだせいで唇がぷるぷると揺れた。
いや、確かに的確な表現かもしれないけど。

「…ちょっと、だけ」
「いや、絶対ちょっとどころじゃねぇべや」
「でも、私のこと好きでいてくれてる証拠みたいなものだから」
「…なるほどな」
「ん?」
「いや。悪かったな、友達と話してたのに」
「ううん、岩泉くんと話せてよかったよ」
「…そうか」

歯を見せてにっと笑った岩泉くんは年相応の男の子に見えて、私の心はほわんとあたたかくなった。

「これ、俺の連絡先。クソ川になんかされたらいつでも言ってきていいからな」
「うん。ありがとう、岩泉くん」
「じゃあな」

紙を握りしめながら、駆けていく岩泉くんに手を振った。

少しその場で余韻を感じたあと、教室へ戻る。

及川くんのおかげでお友達がひとり増えたことを、私は喜ばしく思っていた。




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