水塊に溺れる

□透明な深海
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愛してもらうということには、何かしらの資格とか魅力とか、揺るがない絶対的な何かがあるからだと思う。

私は、あまりそういう愛でてもらえるような人種ではないと幼少期から理解していた。自分には絶対的なそれがないのだから、当たり前だと思った。
しかし長年のこういった解釈は、ある男によって覆されることを私はまだ知らなかった。


「及川くん、痛い」

手首を掴まれ、否応なしに引っ張られていく。空き教室に連れ込まれて、そこでようやく彼の大きな手が離された。
少し赤くなっている手首をさすると、うなだれている及川くんが口を開いた。

「どうして返事くれないの?」
「…返事?」
「この前君に告白したよね?その返事だよ」

…本気だったのか。
真っ先に思ったのは、それだった。

「及川くん」
「なに、返事はイエス以外受け付けません」
「いや、ちょっと聞いてほしいな」
「…なに」
「あのね、最近及川くんが彼女と別れたってバレー部の子達が教室で騒いでたから…」

てっきり罰ゲームとか、気まぐれとか、遊び相手が欲しかったとか。そういった類のものだと。
素直に自分の思ってるいたことを話した。

「だから本気だと思わなくて」
「………」
「からかってるのかと思って…」
「………………」

膝から崩れ落ちる、というものの見本を見た気がする。がくん、という文字が聞こえてきそうなほどの完璧なそれに拍手を送りたくなるくらいに、及川くんの膝は綺麗に折れた。

「だ、大丈夫?及川くん」
「…本気だよ」
「え?」
「本気で君が好き」

ブラウンスファレライトのような、煌めく双眸が強い眼差しで私を見つめる。あまりに美しいそれに目が離せなくて、無言になる。
訪れた静寂を破ったのは、及川くんだった。

「付き合ってる人がいるの?」
「いないよ」
「俺のこと嫌い?」
「嫌い、ではないけど…及川くんのことあまりよく知らないし…」
「だったら今から、俺のことを知っていってよ」

さっきまで座り込んでいたのが嘘かのように、すっと立ち上がった及川くんに見下ろされる。
思っていたより高い身長に、ああ、自分は及川くんのそんなことも知らなかったんだ、と少し申し訳なくなった。

「もう一度言うよ」
「う、うん」
「好きです。俺と付き合ってください」

…愛してもらうということには、何かしらの資格とか魅力とか、揺るがない絶対的な何かが必要なんじゃなかったっけ。

私はそんな上等な人間じゃない。ないはずなのに、どうして彼は私を選ぶのだろう?

「ごめんなさ「返事はイエス以外受け付けません」ええ…」

ふん、と頬を膨らませながら顔をそむけた及川くんはさっきとは打って変わって子供っぽくて、思わず笑みが込み上げた。

「及川くん、駄々っ子みたい」
「駄々っ子でいいですー、君と付き合えるなら」

彼は私がイエスと言うまで、駄々をこねるつもりのようだ。
…イエスという理由も、ノーという理由もない。
ならば、もう私が選ぶ答えは、ただひとつなのだろう。

「うん、わかったよ」
「…それって」
「これからよろしくお願いします、及川くん」

にこりと笑って彼の前に手を差し出す。
すると及川くんは身震いしたあと、両手で私の手を鷲掴みにした。

「…ありがとう!」

弾けるように笑った及川くんが眩しくて…私は静かに、目を細めた。




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