フラジール
□世界の中心でふたりぼっち
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暮れていく夕焼け、忍び寄る宵闇。
隣に座る岸神くんの綺麗な横顔をちらりと見た後、再び海の方へ目を向けた。
「どうしてそんなに穢れていると思うんですか」
淡々と。いや、つとめて淡々と、だろうか。岸神くんは私に問いかけた。
すぐには答えられなかった。せり上がってくる重苦しい不安が私の心を揺さぶる。
…根拠なんて、ないけれど。岸神くんは私の話を聞いて笑ったり貶したりしない人だと思った。
恐る恐る、口を開いた。
「私の中には、母と父の血が半分ずつ流れてると思ってる」
乾いた唇が気持ち悪い。
「母の血は穢れていて、父の血は美しいと…そう思ってる」
「どうして?」
「母は、汚い人間だから」
深く息を吸った。震え出す唇を噛んで誤魔化した。
「父は私に綺麗な愛を少しだけ注いで、死んでしまった」
父と手を繋いだ幼い頃を思い出す。それを閉じ込めるように、ぎゅうっと握りしめた。
「だけど母汚い手で…私を、殴打する。汚い口で、罵倒する」
殴打される度、お父さんの綺麗な血が汚されていく。罵倒される度、心が壊死していく。そうして残るのは、母親によってなすりつけられた穢れだけ。
たどたどしくも、そう告げた。
何かがこみ上げてきて膝に顔をうずめた。
「そう…だったんですね」
岸神くんの手が私の背中をさすった。優しさが溢れるその手にたまらなくなる。目頭が熱くなってきた。
「泥沼から抜け出せる日が来ることを、ただただ待ち望んでるの」
それが例え、死ぬ事と同義だったとしても。顔を上げて小さくつぶやいた。
髪が潮風で揺れる。海の独特の匂いが私の鼻をくすぐった。
「ボクのために死なないでほしいと言ったら、怒りますか」
いつも笑みを浮かべている岸神くんが至極真面目な顔で私に問いかけた。驚きのあまり目を見開く。
「…怒ったり、しないよ」
こんな時、どんな顔をしたらいいんだろう。身体が、心がぐちゃぐちゃになる。
「ボクはあなたのことが好きです」
だからいなくならないで欲しい。そう告げられた。素直な彼の気持ちに胸が痛くなる。
思わず彼の顔へ指がするりと伸びた。 彼の頬をゆっくりとなぞる。綺麗な、絹のようなそれ。美しいと思った。確かめるほどに、綺麗だ。
「愛しています」
射抜くような、けれどあたたかな瞳。
ただ、誰かにこんなにも大切にされたのは初めてだった。
純粋で、綺麗な、岸上くんの恋情、愛。
胸がひどく熱くなる。声が震え出す。
「本当に?」
「はい」
「…信じていいの?」
「あなたに信じてもらえるなら、なんだってします」
「ずっと…ずっと、大切にしてくれる?」
「はい、勿論です」
「っ…」
涙がこぼれた。ぼろぼろと際限なく溢れ出す。綺麗な岸上くんの指先が私の目元を何度も優しく拭った。たまらなくなって、胸元に飛び込む。私よりもすらりと長い、けれど大きくて優しい手がそっと頭を撫でてくれた。
「私を…愛して」
「ええ、これからもずっと」
遠くで鴉が、切なく鳴いた。
私達の始まりの終わりを、告げていた。