フラジール
□ただの死にぞこない
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どこかへ帰りたいと思う時がある。家なんかじゃない、もっと静かで…たゆたう海のように穏やかな、そんな場所へ。
この世のどこかにあるのかな。
湯気が立ち上る浴室の中、ぼうっとしながらぬるいシャワーを浴びる。鏡に映る身体には、所々グロテスクな痣が。自分の身体ながら汚いと思う。
全て母親に付けられたものだ。
激しく苛烈な暴力、そして暴言。私を支配する雷と荒波。思い出すだけで吐き気がして俯いた。水が私の髪を伝ってこぼれ落ちていく。
殴打される度、お父さんの綺麗な血が汚されていく気がしている。罵倒される度、心が壊死していく。そうして残るのは、母親によってなすりつけられた穢れだけ。
だから私は、穢れているんだ。
死んだ父の面影を毎日追いかける。私の小さな手をゆっくりと引いてくれたこと、頭を優しく撫でてくれたこと、目を細めて無邪気に笑うこと、愛していると言ってくれたこと…何もかもを忘れないように毎日思い出す。
その思い出に縋らないと、私はもう生きてはいけないのだ。
今日、消しゴムを落とした時拾おうとしてくれた岸神くんの白い指先に触れてしまった。
穢しちゃったかな、岸神くんのこと。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、なさい。
もう誰に謝ればいいのか、どうすれば誰が許してくれるのかわからない。
誰か、誰か…助けて。
私の叫びは、届くことはないのだろう。
溢れ出た涙に気付かないふりをしながら、浴槽を後にした。
明日もまた、ただ私は生きながらえる。