フラジール

□季節は過ぎた
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岸神くんが薄暗い膜をまとっているように見え始めたのはいつからなんだろう。

医者が手術の時着用している…ラテックス・グローブというのだっけ?それに似たもので彼は自分を包んでいるように見えた。薄いけれど容易に破れることはない、鈍い色の膜。まるで汚いものには触れたくないという意思のあらわれのようである。
…まあ、私には関係の無いことだ。

途端、視界が変わった。
あ、と思った瞬間にはもう足を踏み外していた。くだらないことを考えていた罰だ、とどこからか声が聞こえた気がした。神様の声だったのかもしれないなあとぼんやりと思考しながら重力に逆らわず階段から落ちていく。
多分、手を伸ばせば手すりに届いたんだと思う。でも私はそうはしなかった。
このまま死んでしまってもいいと、そう思ったから。

衝撃に耐えるためかたく目を閉じた。願わくば、痛みも何もかも一瞬で終わりますようにと。

どん、と鈍い音がしたかと思うと柔らかくてあたたかい何かに包まれた。
いつまでたっても衝撃も痛みも感じないことに不信を抱き、そろりと瞼を上げる。そこには私の身体をしっかりと抱きとめる岸神くんがいた。

「岸神…くん…」
「大丈夫ですか、苗字さん」
「え、あ…う、ん…」

状況がうまく飲み込めない。彼が、岸神くんが助けてくれたことは紛うことなき事実なんだろうけれど。
なぜ彼がここにいるのか?どうして私を助けたのか?
ぐるぐると疑問だけが頭の中をまわる。ふと、彼に触れている手の感触が思ったよりも硬いことに気付いた。制服の上からでは華奢に見えた岸神くんの身体は、筋肉質でしっかりとしていた。
いやにどきりとしていると、何かにぐうっと抉られるような感覚。彼の手が触れている部分にだけ感じたそれは、私の胸に気持ち悪さを残した。大きく肩が揺れる。
な、んだ、今の?…錯覚か?
冷や汗をかきながらも、彼からさっと離れた。

「あ、ありがとう、助かりました」
「…自殺ですか?」
「は、」

なに、を。何を言っているんだ、この美しい男は。

「…あんな所から身を投げたって死ねないよ」
「そうですね」

失礼しました、と上品に笑う岸神くんの瞳に何もかも見透かされたようで…こわくてうつむいた。

じゃあ、と震える声で小さく呟くと、私は逃げるようにその場を後にした。


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