ん
□君の為は俺の為
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夕方と夜が混ざった空の下。
俺は涼しい風に当たりながら、空に輝き始めた星をぼんやりと数えていた。着地地点が無い両足はぶらりぶらりと宙を掻いている。
「おい、臨也」
そんな俺に下から掛けられた声。
落ちないように屋根の端を掴みながら身を前に乗り出せば、俺を見上げる鳶色の瞳と目が合った。頭に巻いた白いタオルの隙間からは、ボサボサの金髪が飛び出ている。
「そろそろ開店すんぞ。仕事しろ」
「はいはーい」
黒いタンクトップから伸びる腕には余計な肉が付いていない。そんな力強い腕は俺が乗る屋台の手摺をがしりと掴み、まるで空のベビーカーでも引くかのように軽々と引っ張り始めた。
僅かな震動に身体が揺れるが、これしきの事で俺が落ちる筈も無く。懐から細長い笛を取り出すと唇に咥え、躊躇い無く思いっきり空気を注いだ。
高らかに独特の音色が響き渡る。
こうして俺とシズちゃんの名も無きラーメン屋は、今日も開店するのだ。
♂♀
「ありがとうございましたー」
今日でシズちゃんがこれを言うのは何回目になるだろう。無口で無愛想で怪力なシズちゃんが作るラーメンはコシがあって美味いと、結構リピーターが居るらしい。
そしてスープのレシピは俺が作った。シズちゃんは味覚が鈍い上にお子様舌だから、最初に自力で作らせたスープは酷かったのだ。
だから此所で売っているラーメンは、俺とシズちゃんの共同作業の結果。それが多くの人間に認められていると言うのだから嬉しい。
(なーんて、シズちゃんはそんな事思ってもいないんだろうけど)
因みに俺は開店中は黙って空を見上げたり、携帯を弄ったり、時折笛を吹いたりして暇を潰している。接客はあまり好きじゃないし、シズちゃんの傍に居たらどうしても意識が其方に行ってしまうだろうから。
そんな事を思いながら空を見上げて数時間。すっかり暗くなった夜空には星が点々と輝いていて、細い月が浮かんでいた。
「臨也、」
「んー?」
「閉店したから降りてこい」
「はーい」
「…っ、と」
ぴょんと屋根から飛び降りれば、何時もその下にシズちゃんが居る。大丈夫だって言ってるのに毎回抱き留めてくれるもんだから、俺は嬉しいやら恥ずかしいやら。
それからそっと俺を下ろして、汗をタオルで拭きながら笑う。正に一仕事終えたっていうその表情が俺は大好きなんだ。
「今日もお疲れ、シズちゃん」
「おう、臨也もな」
俺は笛を吹くだけしかしていないのに、シズちゃんは何時も労ってくれる。そもそも客寄せの笛を吹く為だけに俺を雇っている理由がよく分からない。
けれどシズちゃんの傍に居られて、シズちゃんが必要としてくれるなら良いんだ。
「そうだ、ラーメン食うか?」
「いいの?」
「おう。一人分しかねぇけど」
そう言っていそいそとラーメンを用意し始めるシズちゃんを見ながら、俺は誰も居なくなった席に着く。やっぱり接客しようかな、仕事するシズちゃんも格好良い。
そんな事を思っていたら、あっという間に目の前に一杯のラーメンを差し出された。ほかほかと優しい湯気を立てる其れは、豆電球の控えめな灯りと相まって何だか懐かしい気持ちにさせる。
「シズちゃん、器と箸が足りない」
「あ?」
「半分こしようよ」
「……、…ああ」
俺の提案に目をぱちくりさせたシズちゃんだけど、直ぐに微笑んで小さな器と割り箸を取り出してくれた。その器にラーメンを取り分ければ、優しい湯気が二人分になる。
それが何だか堪らなく嬉しくて思わず笑顔を溢せば、早速ラーメンを啜っていたシズちゃんに「何笑ってんだよ」と柔らかく額を弾かれた。
(ああ…本当に、もう…)
好きだ。大好きだ。
そう叫びだしたくなった反面、胸が詰まって言葉が出ない。だから俺はへらりと笑って、温かいラーメンを啜った。
♂♀
「臨也、そろそろ店開けるぞ」
「はーい」
綺麗な夕焼け空の下、今日もシズちゃんの呼び声に答えて俺は笛を構える。そして息を大きく吸い込んだ時、
「客寄せ頼んだぞ。手前と作った大切なラーメンだからな、今日も色んな奴に食って認めてもらわねぇと」
「!!?」
「なっ、大丈夫か臨也!」
不意打ち過ぎる発言に驚いて、笛からは奇妙な音が鳴る。それに驚いたシズちゃんが見上げてきたけど、俺は急いで背を向けて噎せつつも片手を振って大丈夫だと示した。
(っ、くそ、ばかばか…!)
顔が熱い。ちらりと下を見れば、心配そうに此方を見上げているシズちゃんが見えた。此方の気も知らないでそんな表情を向けるなよ、余計に熱くなる。
それでも何とか呼吸を整えると、俺は笛を構え直して、ゆっくりと息を吸い込む。風に乗ってシズちゃんが仕込んだラーメンの良い匂いがした。
(──…好きだよ)
今はまだ言えないけど、伝われば良い。
そうして今日は俺も笛を吹くんだ。
END.