□蛇の目姫
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のどかで素朴な小さな町の外れにある、深い深い森の奥。そこには昔から語り継がれている話があった。


《あの森にはメデューサが住んでいるから、近付いちゃいけない。》

《肌は死人のように青白く、髪は毒のように黒く、瞳は呪われた血のように紅く。しかもその瞳に映ったものは命を奪われて閉じ込められてしまう。冷たい冷たい石になってしまう。》

《だから絶対に近付いちゃいけないよ。もしも見つけたら逃げ出すんだ。目を合わせてはいけないよ。》


♂♀


柔らかな木漏れ日が降り注ぐ森の中。
壁に蔦が伸びている小屋の窓がそっと開いて、部屋の中から人影が顔を覗かせた。一見すると普通の青年だが、伸びた黒い前髪で隠された瞳は、濡れた木苺のように真っ赤だった。

その青年はそよ風と共に室内に流れ込んでくる朝露の匂いを胸一杯に吸い込むと、白いレースのカーテンを窓の脇に寄せて空を見上げる。木々の隙間から見える青色は晴天と呼ぶに相応しく、清々しさに思わず笑みが浮かぶ。


「…おや?」


ふと目の前の草原に降り立った小鳥に目を向ければ、ここらでは見慣れない青い羽色をしている事に気付き、青年は小首を傾げてからそっと口笛を吹いた。

独特のリズムで奏でられる音に引き寄せられるように、その小鳥は青年が立つ窓際まで飛んでいく。そして窓枠に掛けられた白い手を小鳥がちょんと啄めば、青年は擽ったさに肩を揺らして微笑んだ。


「よしよし…今、パンを分けてあげる。ちょっと待っててね」


小鳥を驚かせないようにと静かに踵を返せば、青年はキッチンへと向かう。少々手狭に思える其処だったが、青年一人が立つ分には充分で。戸棚からパンの入ったバスケットを取り出せば序でに紅茶を淹れたティーポットとカップも用意し、それらを持って再び窓際に戻った。

窓枠に停まっていた小鳥は青年の持ってきたパンの香りに反応したのか、ぴいと小さく鳴いてみせる。その愛らしい声に頬を緩ませた青年は、部屋の隅に片付けていた揺り椅子を窓際まで引き寄せて腰掛けた。

傍らのテーブルにバスケットを置き、パンを一つ手に取ればまずは半分にちぎり、それからその片方からちょんと欠片を摘む。


「ほら、お食べ」


その欠片をテーブルに撒いてやれば、小鳥は直ぐに其方へ降り立って啄み始めた。夢中で食事をする小鳥の姿に小さく笑んだ青年は、ティーポットからカップにゆっくりと紅茶を注ぐ。途端ふんわりと漂う花の香りに目を細めつつ、テーブルに置きっぱなしだった厚い本に手を伸ばした。

しっかりとした作りの其れは随分読み込んであるらしく、捲れ癖がついている。そっと開いたページには大きな白い羽が挟まっており、青年は其れを抜き取ると続きの物語を読み始めた。

青年は、物心ついた頃からこの本だらけの小屋に一人だった。どうやって此処に来たのかは覚えていない。たまに寂しさはあったけれど、本を読んで物語に浸っている時はその感情すら忘れられるから、青年は本が好きだった。

本は様々な事を教えてくれた。家事の仕方から始まって、計算や動植物の種類。人間の常識、考え方、生きる世界。


そして、メデューサ。
自分の呪われた血筋の事を。


最初は信じたくなかった。けれど読み進めていくうちに自分に当てはまる事が多過ぎた。病的なまでに白い肌。血塗れたように紅い瞳。闇で染めたような黒髪。人目につかない場所で息を潜めて暮らしている。

そうして自分がメデューサだと知った青年は、森を抜けた先に村があると知りながら、この小屋から出ようとはしなかった。時折、隣の村へ行くために森を歩いていく人間の話から、自分の存在が恐れられている事も知っていたから。


(きっと俺の両親もメデューサだったんだろう。いや、メデューサは女らしいから母さんがそうだったのかな)

(だけど何かの間違いで男の俺がその血を受け継いでしまって、気味悪さに捨てられた…ってとこか。…まあ何にせよ、俺は捨てられたんだろう)

(それでも住める場所に置いていってくれたのは、何なんだろうか…)


本に視線を落としたままそんな事をぼんやりと考えていた青年の耳に、ふと聞き慣れない音が入って来た。最初は啄木鳥が木を突いている音かと思ったが、それにしてはどうも大き過ぎると首を傾げていれば、


「…、誰か、いねえか?」

「!!?」



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