西夢処

□赤ちゃんシリーズ第一弾〜二郎真君の場合〜
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「あ、でも誤解しないでください。あなたにとっても、喜ばしいことなんです」
「喜ばしい?君に私以外に大切な相手ができたことがかい?」
 ぎりりと奥歯を噛み締める。頭にきたとき程、凄惨な笑顔が浮かぶのは楊漸の癖だ。
 普通の者なら、触らぬ仙になんとやらで怒りが解けるまで近付くこともできないが、玄奘はそんな彼さえも愛しくて仕方ない。彼のこの笑顔は寂しがりの裏返しなのだから。そう思えば自然、その頭をそっと抱き締めていた。

「…なんのつもりだい?」
 耳に直接玄奘の鼓動を感じ、抱き締められていることに気づく。
 心のざらつかせた腹いせに意地の悪いことのひとつも言ってやりたいが、玄奘の指先が襟足をくすぐる感触に苛ついた気持ちがどこかへ霧散していく。
 他の者では決して不可能なことを玄奘は意図せず、簡単にやってのける。それが癪で、せめてもの強がりで呟いた言葉は我ながら情けない響きだ。
「楊漸、ほらわかりません?」
 地面に垂らしたままであった手を取られ、誘われた先は玄奘の腹の上で、訝しく見上げても、玄奘はただ微笑むだけでなにも言わない。
 仕方なく、玄奘の意に添うように腹に手を置いたままにしていると、不思議な違和感に襲われた。
 初めは気のせいかと思ったが、しばらくするとその違和感の正体が、頭を掠める。

「まさか、玄奘きみは…」
「楊漸、そのまさかですよ。ここに、私たちの子供がいるのです」
「ほんとうに?」
「初めは、私も気のせいかと思ったのですよ。なにしろ、天界と地上界の者の間に子ができるなんて、絵物語でしか私は知りませんでしたし。でも、体調が優れなかったのをお寺に出入りしている女性の方に指摘していただいて、お医者様に診ていただいたら、やはりそうでした。楊漸、大切なあなたと私の子供ですよ」
 そして微笑んだ玄奘の笑顔は、まるで人間が描く如来菩薩の様に優しく、慈愛に満ちたもので、楊漸は初めて人間が天上人を崇める気持ちがわかった気がした。
「それで、楊漸。私のお願いなんですけど…」
「ああ、そうだったね。なにがいい?乳母車は、まだ早いかな。赤ん坊用のベッドはどうだい?」
「ふふ、それはまた今度お願いします」
「そうかい、まあそうか。考えてみれば父親である私が、そういものを用意するのは当たり前だしね。最高のものを用意するよ」
 微笑みながら、楊漸の頭の中ではどんなデザインのベッドにしようかと既に別の思惑と共に算段が進んでいる。
 その思惑を実現するために、楊漸は殊更甘く呼び掛ける。
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