創作 壱
□かけがえのないもの
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「邪魔するぜ」
ある日の奴良組本家、刻は日没。
廊下をパタパタと小走りで駆けていたつららは、玄関先から聞こえてきたその声に足を止めた。
「あら、鴆様」
「―――雪女、リクオはいるか?」
「リクオ様でしたら散歩に出られましたよ?」
つららは小首を傾げながら言う。
すると、見る見るうちに彼の顔が歪んだ。
「おいおい、入れ違いかよ・・・」
「申し訳ありません」
どうして自分が謝るのか分からなかったが、目の前に立つ彼の落胆様があまりに酷いものだったので、つららはとりあえず頭を下げておいた。
「首無はいるか?」
「・・・首無も、昨日から所用で遠方へ」
「・・・ツイてねぇな」
呟いて頭を抱える鴆に、つららはクスッと笑う。
「よろしければお上がりになってお待ちください、そちらも重いでしょう」
鴆が手にしていた酒瓶を一瞥したつららはそう促した。
「リクオ様もそろそろ戻られる頃かと思いますよ」
「・・・」
なんだか宥められているようだ、と感じながらも悪いな、と一言呟いて鴆は足を上げた。
履物を整えたつららが客間へと歩く。
「鴆様」
「なんだ?」
「すみません、・・・喉に効く薬を戴きたくて―――」
客間に通された鴆は、出された座布団の上に腰を下ろした。
「風邪か?」
「はい・・・、他はなんともないんですけど、ちょっと痛みがあって・・・」
つららは鴆の羽織を衣紋掛に通しながらも、痛みを覚えたのか顔を顰めた。
「煎薬だったらあるが、飲めるか?」
「はい」
薬包紙に包まれた薬を二包、鴆は向かいに座ったつららに差し出す。
「ありがとうございます」
薬餌と引き換えるように湯気立つ湯呑みを鴆の前に置き、つららは頭を下げた。
「なに、大したことじゃねぇよ」
「鴆様、代は―――」
「いや、いい。色々と世話になってるからな」
彼は気にする素振りもなく湯呑みを傾けた。
「でも、そんなわけにはッ―――」
「オレがいいって言ってるんだ、気にするな。それより軽く診てやる」
「へ?」
「喉だ喉、ほら見せろ」
「あ、はい・・・」
つららは立ち上がって鴆の隣に膝を折った。
あーん、と小さく口を開けると顎に指が添えられるのを感じ、そこを鴆の視線が覗き込む。
「―――あぁ、喉痺じゃぁなさそうだな。軽く扁桃が腫れてはいるが・・・そいつを飲めばすぐに直るだろ」
その言葉につららは、ホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。やっぱり鴆様に診て頂くと安心しますね」
暫く続いていたのでちょっと心配だったんです、とつらら。
「身体は弱ぇが、これでも一応薬師だからな」
「ふふっ、“一応”ではないでしょう」
つららは笑う。
彼はいつも、義兄弟である己の主と酒を酌み交わすことが多く、こうして二人きりで話す機会はあまりないが、やはり話してみると見えてくる一面が多くある。
謙遜しているが、薬鴆堂と呼ばれる診療所を開いている彼。
奴良組が誇る立派な薬師なのだ。
「それより、少しでもおかしいと思ったら診せに来い。忙しいのは分かるが自分の身体は自分にしか分からねぇんだ、軽く見て宿痾に苦しむこともある」
「気をつけます」
「そうなったらお前の主も心配するだろう。過保護だからな、あいつは」
そんな目の前の鴆の軽口に、つららが淡く微笑んだ時だった―――。
「何やってんだ、お前ら」
触れ合うほどに近い距離。
そこを割るように入った影―――。
「リクオ様ッ!」
「お、やっと帰ってきたか」
待ちくたびれたぜ、と苦笑して、けれど楽しそうに立ち上がる鴆。
一歩下がり、リクオの肩から羽織を抜き取るつらら。
「おかえりなさいませ」
「リクオ、好い酒が入ったんだ、汲まねぇか?」
「それでは私は摘み物を用意しますね」
楽しそうな鴆を見て笑うつららは、客間を後にしようとした。
が、それを制したのはリクオの一声―――。
「近い」
「はい?」
「距離」
「え?」
「・・・おい、リクオ」
そこで、訝しげな顔をした鴆が口を挟んだ。
「なんだよ」
「何を勘違いしているかは知らねぇが・・・奴良組若頭の大事にしてるモンに手ぇ出すような度胸、オレにはねぇよ」
「・・・」
「雪女のやつが風邪ひいたって言うんで診てやっただけだ」
その言葉にリクオはハッとする。
「つらら、風邪ひいてるのか?」
「はい、喉を少し・・・でも鴆様に診て頂いて、お薬も戴いたので―――」
大丈夫です、と心配そうな表情のリクオにつららは微笑んだ。
「本当か?」
「えぇ」
「無理はするなよ?鴆、呑むのはオレの部屋でいいか?縁は少し冷えるからな、つららも部屋のほうがいいだろう」
「・・・あ、あぁ」
そんなリクオの台詞に苦笑したのは他でもない、鴆。
「なぁ?雪女、過保護だろう。いや、嫉妬深いの間違いか?」
「おい、なんの話―――」
「なんでもねぇよ、それより早く呑もうぜ。待ちくたびれた」
鴆に急かされるように、次いでリクオとつららも客間を出る。
穏やかな夜はまだ始まったばかり・・・。
了