創作 壱

□交わらない感情論
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「どういう、つもり・・・?」

「どうもこうもねぇよ」


脳が警鐘を鳴らしている。

夢であったらいい。

捕まれた手首の感触も、間近に感じる吐息も全て今この瞬間この身を震わせる因になっているというのに、今尚あるはずのない万一に縋ってしまうのだからそんな自分が酷く情けなかった。


「声をあげない私の意を汲んで、この手を退けてはくれないかしら―――、牛頭丸」


つららは静かに呟いた。

頭上には、強い力で搦め捕られた手首。


「ハッ、此方人等それくらい覚悟して来てんだ。生半可な感情でここにいるんじゃねぇんだよ」


牛頭丸は無表情のまま言った。

本来ならば彼の囁く言葉は異性の情を揺るがすそれであるはずなのに、響く声音は恐ろしいくらいに冷たく、そして鋭かった。


「・・・」


夜半、相思関係のない女人の部屋に許可なく足を踏み入れることが、どれほどの意義をもつのか―――この男が知らぬはずはないのに。


「・・・今ここで、大声をあげたっていいのよ?」

「好きにしろよ」

「ッ、・・・」


なんだというのだ、この男は。

牛頭丸の揺るがぬ瞳に、つららはだんだんと恐怖を覚えていた。


「・・・知っているはずよ、私とリクオ様は―――」

「相愛関係ってか?」

「ッ、」


それは馬鹿にするような笑み。

壁に押し付けられた背中に寒冷が伝わった。


「何が可笑しいのッ!?」


ククッと牛頭丸が喉奥を鳴らして笑うから、つららは微かに声を荒げた。

こんな男に、情けをかける必要などないというのに・・・。


「何が、だと?それはてめぇが一番分かってんじゃねぇのか?奴良組若頭の側近様よぉ」

「そ、そうよ、私はリクオ様の側近!この命に変えてでもあの方をお守りする―――」

「命、ねぇ・・・」

「なッ、に・・・」


ギリギリと捕まれた手首が鳴る。


「てめぇも本当は気づいてんじゃねぇのか?」

「だから、何を・・・」

「所詮は側近、てめぇが望んでるような恋仲にはなれねぇってことだよ」

「ッ、!」

「・・・ハッ、図星か?揺らいでるぜ」

「くッ、」


ほんの一瞬だけ力を抜いてしまったつららの身体を叱責するように、牛頭丸の膝が彼女の着物越しの腿を打ち付けた。


「毎夜毎夜ご苦労なこった、・・・まぁお前らの同衾は、余所で言う夜伽と大して変わりねぇだろうがな」

「なッ、!」


なぜそれをこの男が知っているのか。


「分からねぇって顔だな・・・。あんな公然としてんだ、余程の阿呆じゃねぇ限り気づくだろ」

「・・・人の目に触れていたことは謝るわ、でも良心に恥じるようなことはしていない、私はリクオ様を―――」

「うるせぇな・・・」

「ちょ、・・・牛頭丸ッ!」

「いい加減気づけよ・・・」

「え?」

「てめぇはただの側近だ!勘違いして自惚れてると今に痛い目見るぞ!?あいつはてめぇのことを考えちゃいねぇ!!」

「ッ、」


もう互いに弁えてなどいなかった。

つららの閉じた口内に、歯の軋む音が鳴る。


「どうして・・・」

「なに!?」

「どうしてあなたにそんなことが分かるの?・・・違う、どうしてあなたにそんなことを言われなくちゃいけないの?私が憎いなら放っておけばいいッ!自分のことは自分が一番分かってるわ、リクオ様とのことだって私はきちんと考えてる!あなたにどうこう言われる筋合いはない!どうしてあなたにそんなこと言われなくちゃいけないのよッ!!」

「ッ、てめぇの望んでるようにならねぇことくらい誰の目から見ても明らかだろうが!だから忠告してやってんだよ!この俺がッ!!」


痛みすら気にならないくらい、怒りは頂点に達していた。


「あなたには関係ない!放っておいて!私が気に入らないのなら放っておいてよッ!!」


「―――つらら?」


刹那。

二人の動きが止まった。

襖の向こうからした声―――。


「リ、クオ・・・様?」

「つらら」


スッと手首が離され、身体が崩れ落ちる。


「・・・大丈夫か?声が聞こえたが―――」

「だ、大丈夫です。夢を・・・怖い夢を見てしまって、それで・・・」


襖越しの会話は震える声音を隠してくれただろうか。


「・・・そうかい、夜更かしはするなよ?」

「は、い・・・おやすみなさいませ」


するとその足音は、徐々に遠ざかっていった。


「・・・」

「・・・」


無言。

暗然の中、つららは俯いたまま震える自分の身体を抱き締めていた。


「・・・邪魔が入ったが、まだ終いじゃねぇからな」

「・・・」

「何度だって言ってやる。あいつはやめておけ」

「だからそんなこと―――ッ、!」


言いかけたつららの言葉を止めたのは伸びた牛頭丸の指先。

髪に触れられた、そう認識するまでさほど時間はかからなかった。


「・・・憎かったら、わざわざこんなことはしねぇ」

「ご、ず・・・」

「やめろ、あいつだけは―――」


最後に短く言って、音も残さず牛頭丸は部屋から出ていった。

今までに見たことがないほどの、真剣な瞳だけがつららの脳裏に焼き付いている。


「どうして・・・」


何も知らなかったのは自分だけ。

思いが虚しく錯綜する。

つららは呆然とその場に座り込んでいた。
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