創作 壱
□僕らはなにも知らない
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「おいおい・・・新入りのやつ、またひとり飯かぁ?」
「ハハッ、なんだ?その“ひとり飯”ってのは」
「そのままの意味だよ」
妖怪任侠一家、奴良組本家。
時は夕刻。
座敷に上がることを許された者だけが囲む夕餉の席には、いつものように一つだけ空席があった。
「若菜様も人が良いからいつもこうして膳を並べられるが―――」
「毎次突っ撥ねられるとなぁ・・・」
上座に座した若頭のリクオはそんな組員達の会話を聞きながら、静かに飯を掻き込んだ。
「雪女、入るよ?」
食事を終えたリクオは屋敷のとある一室の前でそう声をかけると、返事を待たずに襖を開けた。
度重なる経験から学んだことだが、たとえ在室中であってもこの部屋から返事が返ってくることはない。
「雪女・・・?」
部屋の中は灯明台すら灯らず真暗闇だった。
「雪女・・・」
リクオは腕を伸ばし、縋る物を探して歩く。
「雪女―――っと、ぅわぁ!?」
「痛ッ、」
躓いた。
畳の上に投げ出された“何か”に。
そしてよくよく目を凝らしてみれば、それはこの部屋の主―――雪女の腕だった。
「・・・何かご用ですか?若頭」
「ぁ、いや、用ってわけじゃないんだけど・・・」
部屋の明かりを点けたリクオは頭を掻いて苦笑する。
畳に身体を横たえていた―――と言うより突っ伏していた―――雪女は、あからさまに溜息を吐きながら身体を起こすと、心底迷惑そうにリクオを見遣った。
「夕飯食べてなかっただろ?だから―――」
そう言いかけた時だった。
バンッ!!!、と凄まじい音が鳴る。
「え・・・」
驚きに言葉を失ったリクオが首を動かせば、鬼の形相の雪女―――つららが手近にあった棚に拳を叩き付けていた。
「ちょ、つららッ!!」
棚下の畳に、ポタポタと鮮血が滴う。
「里へ帰してください」
「え・・・?」
つららは唇を歪めながら言った。
「若頭の口から、総大将に進言してください。雪女を遠野へ帰すと」
「それは―――」
「帰してください」
「つらら・・・」
「お願いします、私を・・・里へ帰してください」
静まり返った部屋に、女の悲痛な叫びだけが響いた。
昔。
先代の雪女である雪麗という女は奴良組総大将の側近として、ここ本家に身を置いていた。
大将の身の回りの世話から出入りまで。
誰より彼に近い存在として、彼女は最後の瞬間まで主に尽くした。
けれど彼女が抱いた想いは未来永劫、叶うことはなかった・・・。
つららが直接話を聞いたことはない。
しかし彼女が誰を想い、誰に焦がれ、誰に涙していたのか。
一度だけ帰省の際に見た彼女の姿が、その全てを物語っていた。
“大将は人間と交わり子を成した”
それは人里離れた遠野の山奥に住まうつららの耳にも入った。
先代がどれほど彼を慕っていたのかは知れない。
けれどその想いに限りのなかった様は、容易に想像ができた。
だからこそ分からなかった。
叶わぬ想いと知って尚、その想いを犠牲にしてまで彼に尽くし続けた先代の気持ちが。
そしてそんな先代の気持ちを知って尚、彼女の存在を側に置き続けた総大将ぬらりひょんという者が。
その答を得ぬまま、遠野の山奥で一人静かに暮らしていたつららに届いた一つの知らせ。
それは―――。
“奴良組へ入り、側近としその身を以て三代目をお守りする”
己の感情とは裏腹に、“世話になった先代”への礼意を兼ね、本家へ参ずる。
無情にも、それが上の出した結論だった・・・。
「なぜです!?私は雪麗様のことも納得できていません!確かに直接この目で見たことではありません、私の識見には多少の誤断がございましょう。ですがッ―――」
「氷麗」
「ッ、・・・世話になった?可笑しいでしょう!?世話になったのはむしろ彼方なのではないですかッ!?」
「・・・雪麗のことは、彼女にしか分からぬことがあるはずです」
「曖昧な。納得できません・・・第一、顔も知らぬ者に敬意を払えなど―――」
「氷麗」
「・・・」
「貴女も知るとおり、我々妖にとって奴良組といえば絶対なる安泰の要。関東に身を置かぬ私達に、本家との繋がりは利になることはあれど不利になることなど絶対に有り得ません」
「ですがッ!!」
「汚い、卑しいと思ってもらって構いません。実際、要路のために貴女を取引の材料にしようとしていることに変わりはないのですから。ですが氷麗、なぜ私達がこれほどまでに本家との繋留にこだわるのか・・・貴女もいずれ汲む時が来るはずです。・・・好きで、貴女を遣るのではない、それだけは忘れないで―――」
「・・・」
「・・・」
「・・・どうしても、私でなければならないのですね?」
「先方がぜひ貴女を、と」
「―――分かりました」
他に道がないのならそれでいい。
今、この瞬間。
全ての希望を捨てよう。