創作 壱
□此れを以って終いとす
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「いらっしゃいませ〜」
戸を潜ると宿場特有の威勢のよい声に迎えられ、リクオは自然と頬が緩むのを感じた。
咽ぶような熱気や酒気も、それを楽しむために訪れた者ならばさして気にならない。
むしろそれらはこれから始まる遊興に対する興奮を助長させる術に過ぎなく、リクオは喉奥に軽い渇きを覚えるのだった。
「あら、今日はお一人ですか?」
艶めいた女が見上げるように乞う。
甘えるように語尾を伸ばす口調もこの場所ならばご愛嬌。
「あぁ」
食事処、化猫屋。
大抵ここに足を運ぶ時は一人なのだが、たまたま先日はある少女が一緒だった。
幼なじみでクラスメイトの家長カナ。
「あの可愛らしい愛人さんはご一緒じゃないのね?なら私頑張っちゃおうかしら♪」
その問いを笑みで返せば女も満足そうに微笑んだ。
「こちらへどうぞ、若頭」
リクオは促されるまま席に着いた。
すると瞬く間に艶美に着飾った女達がリクオの身体を取り囲む。
「お久しぶりです、若頭」
「ぁ、ずるい!私もご挨拶したい!」
リクオはリクオでそれには深く関せず杯に注がれた酒を一気に煽り、ぐるりと店内を見渡した。
いつ来ても、この食事処は活気と賑々しさを漂わせている。
「今日はご一緒じゃないんですね?この間のお嬢さん」
隣に腰掛けた女が静かに問いた。
「そう何度も連れてくるような場所じゃねぇからな」
先も同じようなことを聞かれたが、そんなに珍しいことだっただろうか。
確かに普段から店主である良太猫と語らい、ほんの少し渇を潤せればいいとこの店を訪れているが、ここは店の外から女を連れてくる客も少なくない。
現に店内にはこの店の者ではない女を横に侍らせだらしなく酔い潰れている男の姿も見かける。
「誰か連れてきたほうがよかったかい?」
あまりに聞かれるものだから逆に問いてみた。
すると女は一瞬目を見開き、次の瞬間には小さく笑みを浮かべてリクオの持つ杯に酒を満たした。
「意地悪ですね、若頭は」
下心なくこうして軽口を交わせる瞬間もまた心地好い。
屋敷では味わえない軽妙さがある。
だがリクオが笑みを浮かべ、溢れんばかりの酒が満たされた杯を口元へ運んだ時だった。
「相変わらず綺麗だったなぁ、氷麗さん」
「―――ッ、」
リクオは危うく傾けた杯をひっくり返すところだった。
背筋を走る冷たさに息を吐いた彼の傍を二人の男が過ぎてゆく。
「でも珍しいよな、あの人がうちの店に来るなんて」
「いや、なんか旦那に用があったらしいぜ?」
「まぁ、そうだろうな」
ハハッと笑ってその二人は去っていった。
「・・・つらら?」
「若頭?」
「ぁ、いや・・・」
リクオの呟きを拾った女が不思議そうに笑みをつくる。
聞き間違い―――。
ではないだろう。
しっかりと耳に残る聞き慣れた名前。
「悪い」
スッと立ち上がり、厠とだけ呟いてリクオは席を立った。
「いってらっしゃいませ」
女がニコリと笑ってその背中を見送っていた。
「・・・」
そんな筈はない。
確かに今晩は日も暮れてまだ間もないが自分が屋敷を出る時、彼女はいた―――。
「・・・」
だが思い返してみて、彼女に見送られた記憶がないことに気づいた。
明日の御身に障るとかなんとか騒いでいたカラス天狗の声に、何事かと駆け付けた首無や青田坊の姿なら覚えている。
しかしそこに彼女の姿はあっただろうか・・・。
リクオは軽く舌打ちをすると、足早に先の男達が歩いていった方向へ歩を進めた。
「さぁさぁ、遠慮なく呑んで下さい」
彼女の姿を探し求めた先、リクオが見たもの。
それは、男に囲まれ談笑する―――少なくともリクオにはそう見えた―――つららの姿だった。
「わ、私は遠慮します!使いに来ただけですから・・・」
つららは両手を振って伸びてきた男の腕を阻止する。
「でも旦那への使いは終わったんスよね?なら一杯くらいどうですか?」
「そうですよ。帰りは俺達が送るんで安心してください」
酷く困惑した様子のつららに、男達は構うことなく言葉をかけてゆく。
「はい、どうぞ」
酒の注がれた杯を無理矢理握らされ、つららの表情には明らかな懸念の色が浮かんでいた。
「そうですよ、雪女さん。今日は肩の力を抜いて」
向かいに座る女が笑んで促す。
馴染みの店だからそう強くも出られないのだろう。
それが彼らの調子に余計な拍車をかけているというのに・・・。
「私は―――」
「“氷麗さんのために”用意したんですから」
「ッ、」
つららの顔色が変わった瞬間を見逃さず、リクオは踏み出した。
「―――悪いが、そのあたりで勘弁してやってくんねぇかい」
声が響いた。