創作 壱

□思慕の向かう先
1ページ/2ページ



「―――毛倡妓」


刹那。

背後から鳴ったその声に、台所で給仕の仕度をしていた毛倡妓は長い髪を翻し振り返った。

見ればそこには空の酒樽を手にしたつららが立っている。


「あら、またお酒?・・・まったく、節度っていうものを知らないのかしら」


遠くに聞こえる酒宴の声に、毛倡妓は溜息を吐きながら冷蔵庫を開けた。


「あッ、違うの!お酒じゃないわ!」


毛倡妓の手元を慌てて塞いだつららは、気まずそうに視線を逸らした。


「あら、じゃぁなぁに?」

「若菜様に言伝を頼まれたのだけれど・・・、給仕任せてもいいかしら」


つららは申し訳なさそうに問う。


「あらそんなこと?なら早く行ってらっしゃいよ、仕度なら首無もいるから大丈夫よ」


そう言って毛倡妓は再び給仕の手を動かし始めた。


「ありがとう」

「気をつけなさいよ」


そんな毛倡妓の声を背中に聞きながら、つららは足早に酒宴の場へと向かった。



―――――――――



「・・・ありがとうございます、つららの姐さん」


未だ歓楽に湧く酒宴場を後に、奴良組本家の門を出て夜道を歩き出した猩影は隣を行くつららに頭を下げた。


「私こそごめんなさい、せっかくの宴会だったのに」


ちらりと見れば、己より遥かに背の高い猩影は何かを思うようにどこか遠くを見つめている。


「本当は一人で行ってもよかったのだけれど・・・」

「夜道の一人歩きは危ないですよ」

「でも私は妖怪よ?いざとなったら凍らせることくらい・・・」


若菜様ったら心配性なんだから。

そう、つららが呟いた瞬間だった。

猩影の足が止まる。


「猩影くん?」

「・・・あの場所から連れ出してくれて、ありがとうございます」

「え・・・」


猩影はつららの行く手を阻むようにゆっくりと眼前に立つと、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。



―――――――――



これといった大きな理由もなく始まった今日の酒宴。

それは本家に住まう妖怪だけに留まらず次第に貸元の妖怪達にまで伝わり、いつしか酒宴会場となっている広間には収まりきらなくなるほどの妖怪が集まってどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。

そんな中、誰かの一声が酒宴の間に響く。


「ワシの家系は先祖代々優秀じゃからの〜」

「ギャハハ!どの口がそれを言うか!おぬしにもその優秀さが引き継がれてるとでも言うのかい」

「まったくだ!!」


ワッと笑いの湧いた広間で笑みを浮かべながら、つららは部屋の端で頭を垂れたままの男を盗み見た。


猩影―――。


「ワシのところは長命だけが取り柄じゃわい、祖父さんも親父もそりゃぁ長く生きとった」

「ホホホ。まぁこんな歳にもなれば長生きも立派な才能よ」

「そいつは違いない」


甲高い声をあげ各々自由気ままに持論を持ち寄る面々に、つららは小さく溜息を吐きながら静かに立ち上がった。

数多い妖の輪の中にいる己の主は、穏やかな表情で傍らの妖怪と酒を酌み交わしている。


(大丈夫そうね・・・)


「首無、ちょっと出てくるからお願いできるかしら」

「あぁ、構わないが―――」

「お願いね!」


酒を呑まない首無は今日ももっぱら給仕に回っている。

時折、貸元の女妖怪と戯れては食事を運びに来た毛倡妓のどすの効いた声が彼を奮え上がらせているのだが・・・。


そうして席を立ったつららは、誰とも言葉を交わすことなく一人杯を傾ける猩影に静かに声をかけたのだった。



―――――――――



そうして今に至る。


「ありがとうございます、姐さん」

「そ、そんな!私も無理矢理連れ出しちゃって―――」


酒宴の席。

“先祖”や“家系”、“父子”という言葉に視線を上げずとも猩影の身体が過敏に反応していたのをつららは見逃さなかった。

決して小さくはない狒々の長逝・・・。


「・・・」


だから、息の詰まるようなあの場所からこうして彼を連れ出した。


「酒の所為にはしたくないけど・・・」

「・・・」

「きっと、あのままあの場所にいたら・・・オレがあの雰囲気を壊していたと思います」

「ッ、それは―――」


言いかけて、つららは口をつぐんだ。

ない、とは言い切れない。

全ては自分にも分からぬ猩影自身の胸の内の問題なのだから。


「猩影くん・・・」

「だから、姐さんには感謝しています」


猩影はゆっくり笑って、また月明かりが照らす道歩き出した。

つららは慌ててその後を追う。


「寒くないですか?」

「ふふ、私は雪女よ?」


確かに秋宵特有の肌寒さも感じるが、それすらも談笑するには恰好の肴になるほど二人の間には暖かな空気が流れていた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ