創作 壱

□言霊
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永い永い、夢をみた―――。






「ハッ、・・・!!」


つららは飛び起きた。

静まり返る室内。

喉奥が荒い呼吸に侵されひゅるひゅると不快な音を立てる以外、そこは全くの無音だった。

障子の隙間から僅かに漏れ出す月明かりが冷えた濃霧に覆われた室内を青白く映し出す。


「ハァ、・・・か、・・・」


言葉にならない声を漏らしながら女は布団を掻き抱いた。

指先に感じる己の温度に安堵する自分が酷く滑稽に思える。


「・・・ッ、」


分かっている。

叶わぬ想いなんて。

分かっているから瞼を閉じたその時くらい、確かな夢を見させてほしい。

弁えている自分を許してほしい。


「若ッ、・・・」


布団に埋めた唇からは、くぐもった嗚咽の音しか聞こえなかった。






「つらら?」

「へ?」


素頓狂な声をあげたのは紛れもなく自分自身で、つららはハッとして辺りを見渡した。

するとそこは見慣れた屋敷の広間、目の前には湯気の立つ朝食が乗った膳が並んでいた。


「あ、」


見れば、隣に座る主の膳は大方片付いているというのに当の自分は箸の一つも動いていない。


「食べないの?」


リクオが不思議そうに問いてくる。


「ぁ、はい!いただきます!」

「つららはゆっくり食べていていいからね、ボクは先に行くから」

「え・・・」

「昨日言っただろ?今日は日直だって」

「あ・・・」


昨夜の彼の言葉を思い出し声にならない声を漏らすと、リクオは苦笑するように首を傾げた。


「大丈夫だよ、青もいるから。つららはちゃんと食べてから来るんだよ?」


最後に茶を一口だけ啜ってリクオは広間を出ていった。

その後を、同じく彼の側近である青田坊―――制服姿の“倉田”―――が続く。


“無能”


「いってきます!!」

「あらあら、今日も早いのねぇ」


玄関先から聞こえる賑やかな足音と穏やかな声音。


「気をつけるのよ〜」


“・・・役立たず”

“・・・役立たず”

“役立たず”


「雪女?」

「え?」

「どうした?そんなにボーッとして・・・リクオ様の護衛は―――」


意識を飛ばしていたつららがまたもハッとして振り向けば、首無が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。

仕えるべき主人が家を出たにも関わらず、供人である彼女が未だ広間でのんびりと膳を囲んでいることを不思議に思ったのだろう。


「今行くわ」


自分勝手だと分かっている。

けれど今は思ったような顔をつくることができなくて、つららは顔を下げたまま吐き捨てるように言うと、重い箸をどうにか努めて持ち上げた。






代々、人間の娘を妻へと迎え入れてきた家系。

確固たる確証がなくとも例に漏れず、次期大将もいずれそうなるのだろうと組の者皆気にも留めずにいた。

そう、気にすら留めないことなのだ。

それが奴良組の常・・・。


「遅かったじゃねぇか」


いつものようにリクオの通う学校の屋上へ姿を現すと、先に着いていた青田坊がこちらに目を向けた。


「珍しいな、お前が若より後に登校するなんてよ」


青田坊は楽しそうに言うがなぜか不思議と腹は立たなかった。

彼の言っていることに間違いはない。

側近としての自分の勤めなら、誰よりもこの青田坊が理解してくれているように思えたから。

それに、感情だけを走らせてわざわざくだらない言い合いをすることもない。

つららは、そう?とだけ返して、フェンス越しの校庭を見下げた。


「・・・」


変わらない日常に変わらない風景。

昨日と今日で何かが変わったわけでもない。

ただあの夢のように、この世界から自分だけが取り残されているような感覚が拭い去れないだけ・・・。


「若・・・」


朝一だというのに爽やかに校庭を駆ける主。

庭先を走り回っては躓き転び、目に涙を溜めながら駆け寄って来たあの頃とはもう随分と違う。

そして、そんな彼を校庭の隅で見つめる少女も。

昔の記憶にはなかった。

自分の知らない場所で学び、自分の知らない場所で成長する。

自分の知らない場所で出逢い、自分の知らない場所で想いを抱く。


「・・・」


妖怪任侠一家、奴良組次期当主となる主の側近。

妖としてこれほど誇らしいことはない。

それなのに・・・。


「ハァ・・・」

「なんだぁ?辛気臭ぇなぁ」

「青はいつも楽しそうね・・・」

「今日も黒田坊のやつと呑みに行くからなぁ。あの羽織を来て歩くと色々と優遇されんだ」


青田坊は満足げに微笑みながらコンクリートに腰掛けた。

そんな様子を冷ややかな目で見つめながら、つららは背中をあずけたフェンスを揺らした。

今は校庭を眺める気にはなれなかった。
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