創作 弐

□さあ、騙されてあげましょうか。
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障子の隙間から差し込む朝日が、鏡台の前に立つ裸身を照らす。

鎖骨に滑らせた指先を、そのまま首筋へと辿らせた。


「・・・」


衣桁に掛けた着物を掴み、袖に腕を通す。

馴染んだ触り。

纏った瞬間、感じる安堵感が彼女の背筋を伸ばした。

そして今一度、覗き込んだ鏡の中で真っ先に目に付いた瞳の下の微かな青みを擦る。

今日も、変わらない一日が始まる。






「おはようございます、雪麗さん」

「おはよう」

「おはようございます、雪麗姐さん」

「おはよう、今日も早いわね」

「ハハ、姐さんに言われたくないですよ」


同じ屋根の下に住まう組員の苦笑交じりの言葉に、雪麗は小さく溜息を吐いた。


「早起きくらいで褒められたんじゃ、反って肩身が狭くなるわ。家事だってあるんだもの、これくらい当たり前よ」


まあ妖が夜っぴて眠っているほうが問題かしら、と雪麗は笑う。


「夜は遅くまで総大将の帰りを待ち、朝は朝で家事のために早起きですか・・・頭が下がりますよ、本当」

「それが側近ってものなのよ」


するとその瞬間、ざわりと一陣の風が舞った。


「―――聞き分けのいい側近の振りをすることもね」

「え?」

「なんでもないわ。さあ、そろそろ朝餉の仕度ができる頃だから、皆を呼んできてちょうだい」






「おはよう」

「ああ、おはよう」


膳の並ぶ部屋に足を踏み入れた途端、即座に向けられた視線を雪麗は自然に首を巡らせることで躱した。

そして何食わぬ顔で己の席へと向かうと、慣れた手つきで着物の裾を捌きその場に落ち着く。


「昨日の晩はすまなかったな」

「いいわよ、別に」


一斉の合掌に軽く頭を垂れ、雪麗は箸を手に取った。

苦虫を噛み潰したような顔で、眉間を抑える主を横目に見遣りながら。


「少しばかり呑み過ぎたようじゃ」

「・・・また猫の所?自分のシマで犯した失態は、誰も尻拭いしちゃくれないわよ」

「相変わらず手厳しいな、ワシの側近は」

「馬鹿言わないで、側近だからよ。この組は可笑しなくらい皆アンタに甘いんだから・・・誰も咎めない代わりに、私が正してあげてるんじゃない」

「甘い、か・・・まあ、ワシの力じゃな」

「褒めてないわよ」


口角を上げ、ニヤリと笑んだぬらりひょんを雪麗は鋭い眼光で睨んだ。

と、その時。


「雪麗さん」

「ん?」

「食事中すみません、ちょっといいですか?」


呼ばれ声のした方に振り向けば、そこには先に朝餉を済ませ、炊事場で午後の寄合に向け食事の準備をしていた下女が申し訳なさそうに立っていた。


「今行くわ」


素早く懐紙で口元を拭うと、雪麗は和やかな雰囲気の中を立ち上がる。

否、立ち上がろうとした。


「雪麗ッ!!」


途端、身体がふわりと宙に浮く。

そして力の入らぬ下肢が畳を掠め、そのまま勢いよく前のめりに倒れ込んだ。

が、即座に伸びてきたぬらりひょんの腕が間一髪でそれを止め、やがて彼は驚くほどに軽い側近の身体に目を見張ることになる。


「大丈夫か?」

「・・・あ、りがとう」

「雪麗、ワシは大丈夫かと聞いて―――」

「少し立ち眩みがしただけよ」


支えられた腕をやんわりと解いて、雪麗は立ち上がった。


「雪麗」

「待たせたわね」


届いていたはずの最後の言葉に聞こえぬ振りをして、下女へ向けて彼女は笑う。

感じる視線にも振り返らない。


「だ、大丈夫ですか?」

「ええ」

「あ・・・そうでした、食事の途中にすみません」

「構わないわよ。それよりどうかしたの?」


射抜くような視線を振り払い進む。

少し意固地になることぐらい、許されるはずだ。


「ちょっと待って、すぐに確認するわ」


だってこんなにも従順に騙されている。






“少しばかり呑み過ぎたようじゃ”

“・・・また猫の所?自分のシマで犯した失態は、誰も尻拭いしちゃくれないわよ”

“相変わらず手厳しいな、ワシの側近は”


そうだとも、そうでないとも言っていない。

けれども否定さえしないその言葉こそが、真を知る自分には何より深く突き刺さった。

あの時、化猫屋から返った返答が、間違いであったらいいなどと。

思っていたら素直に騙されてなどいない。






“総大将ですか?いえ、今日はお見えになっていませんよ”








 

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