創作 弐

□届かぬ恋風
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首から手拭いを下げたぬらりひょんは、湯浴みを終え一人廊下を歩いていた。

するとそんな彼の耳に、どこからか微かな声が響く・・・。


「―――助かるわ」

「聞くことしかできぬが・・・」

「それが助かるのよ。・・・それともなぁに?―――代わりに、・・・してくれる?」


急に、声音の妖艶さが増した。


「・・・雪麗」


だがそれに返るのは、呆れたような男の嘆息。


「ちょっと、冗談なんだから溜息なんてつかないでよ」

「・・・」

雪麗の言葉にも、男は無言のままだった。


「ありがとね、牛鬼」

「・・・構わぬ」


その声をどこか遠くに聞きながら、立ち尽くすぬらりひょんの脳裏に浮かぶのは己の組を支える幹部と己の側近の姿だった。


「・・・」


足音はだんだんと近づいてくるというのに、足裏は板敷きに縫われたように動かない。

そして視界の端を見慣れた真白い着物の裾が掠めた瞬間、彼は曖昧な表情のまま、雪麗の視線を受け止めた。


「―――ッ、!ぬ、ぬらりひょんッ!?」


そして案の定、暗がりに浮かぶ大将の姿に、雪麗は頓狂な声をあげるのだった。






「なにやってるのよ、湯上がりだっていうのにあんな所に突っ立って・・・そんな理由でひいた風邪、誰も看病なんてしてくれないわよ?」


雪麗は主の部屋であからさまに溜息を吐いて見せながら、濡れたままの手拭いを引ったくった。

だが当のぬらりひょんは、黙したまま彼女の手によって肩口へと掛けられた羽織をジッと見つめている。


「雪麗」

「なによ」

「・・・」

「・・・ぬらりひょん?」


口を開かぬ主に雪麗は訝しげに問い聞いた。

すると突然、ぬらりひょんが彼女の髪を撫でた。


「するか?・・・ワシと口吸い」

「・・・は、―――」


それは唐突だった。

突然腕を引かれ、中腰になっていた雪麗の身体はバランスを崩す。

けれどぬらりひょんは強く掴んだその手を離そうとはせず、彼女の身体はそのまま素直に彼の胸へと落ちるしかなかった。


「ひゃッ・・・、」


衝撃は、なかった。

が・・・。


「ッ・・・ちょっと、いきなり何するのよッ!!」


雪麗は声を荒げる。

恐ろしいくらいに吊り上がる眉。


「危ないじゃない!アンタ一体何考えて―――」

「最近、聞かぬと思ってな・・・お前の“妾と口吸い”―――」


ぬらりひょんは問う、と言うよりは言い聞かせるように囁いた。

だがそれを耳朶を掠めるほどの隔たりで聞いても、雪麗は不機嫌な表情を隠そうともせず短く息を吐く。

そして見る見る相好を歪めた。


「悪いけど、今はそういう気分じゃないの」


そうさらりと言ってのけると、雪麗はぬらりひょんの腕から抜け出した。

対するぬらりひょんも別段彼女を捕えようとしていたわけではないようで、雪麗が動けば二人の距離はすぐに広がった。


「・・・どういう風の吹き回しだ?」

「別に」


顔を逸らす雪麗を、ぬらりひょんは黙って見遣る。


「ところでアンタ・・・南で有名な踊り子、寝取ったそうじゃない」


雪麗は立ち上がり、畳の上で皴をつくる羽織を衣桁に掛けながら言った。


「・・・なんの話じゃ?」

「・・・ふぅん、しらばくれるつもり?まぁ話す気がないならそれでもいいけど―――」


言って雪麗はぬらりひょんを見る。


「アンタの素行は組の面目でもあるんだから、やるならバレないようにやりなさいよ」

「・・・」


正す、というより程好く傍観するといったほうが正しいか。

そんな雪麗の口調にぬらりひょんは不服そうに眉を顰めた。


「本当に覚えがないんだが・・・ワシがどう言っても、お前には意味がないのだろう?」

「・・・意味も何も、アンタがどこで何をしていようと私の知ったことじゃないわ。ただ組としての貞操は守ってって言ってるの、じゃないと必死になってアンタの組を守ってる奴らが馬鹿を見る―――」

「それがお前の口吸いの相手か?」

「・・・は?」


探るようなぬらりひょんの視線に、雪麗は頓狂な声をあげた。

訳が分からないといった表情・・・。


「どういうこと?」

「・・・いや、独り言じゃ」


そう言ってぬらりひょんは視線を外す。


「・・・なんなの?さっきといい今といい、アンタ最近ちょっと変よ?」


雪麗は訝しげに、ぬらりひょんの顔を覗き込んだ。


「関係のないワシのことは放っておけ」

「・・・なに?それって私への当てつけ?」


雪麗は不機嫌そうに―――ではなく、酷く可笑しそうに笑った。


「雪麗・・・?」

「餓鬼みたいね、ぬらりひょん」

「・・・はぁ?」

「餓鬼みたいだって言ってるの。何一人で耽ってるのか知らないけど、さっきのはほんの冗談よ。どんなに少なくたってアンタに常識があることくらい、私だって分かってるもの。・・・アンタがちゃんと、私たち組のことを考えてくれてるってこともね」

「・・・」

「だから一人で考え込んでるんじゃないわよ、そのための仲間でしょ?私達」


そう言って、雪麗は主に笑顔を見せた。


「・・・」


突き放すなら、姿も声も何も完全に触れなくなるまで突き放してほしい。


「あぁ、そうだな・・・」


ぬらりひょんは小さく頷いた。








 

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