創作 弐

□浮氷
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月は煌々と輝き、宵も徐々に深まりを見せ始めた頃。

ここ―――妖怪任侠一家、奴良組の総大将であるぬらりひょんは自室で一人、渋い表情のまま壁掛けの時計を見つめていた。

先からまだ三分ほどしか経っていない針を睨んでは、また深々と溜息を吐く。

その繰り返し。

そして、今日何度目かの嘆息を吐いた時だった―――。


「雪女が帰ってきたぞー!」


ぬらりひょんの耳に、確かな声が響く。

するとそれまでの緩慢な動きが嘘のように俊敏な動作で彼は立ち上がると、勢いよく戸を開き足早に玄関先へと向かった。






「おいおい、こりゃまたひでぇ酔い方だな・・・」


玄関先で、眉を顰めた組員が声をあげた。

大きな物音に慌てて駆け付けてみれば、そこにいたのは泥酔した同じ組員なのだから困る。


「だが珍しいな、雪女がこんなになるなんて・・・」

「どうせまた、口吸い絡みで総大将と悶着あったんじゃねぇのか?」


事あるごとに、己の主に“口吸い”を求める彼女のそれは、組員達の間ではこうしてさらりと話される恰好の材料になっていた。


「しかしどうするんだ、まさかこのままにするわけにもいかんだろう・・・」

「総大将に頼むしかねぇなぁ、途中で目ぇ覚まされて要らぬ疑いでもかけられたらそれこそ生きて帰れねぇ」


玄関先で酔い潰れる雪麗に、男はわざとらしく身震いをしたが口調は酷く真面目であった。

散々な言い種ではあるが本気なのだろう。


「ハハッ、違いねぇ」

「その点、総大将なら安心だろう?」

「おいおい、どういう意味だよ」

「なに、聞くのは野暮ってもんだろ」


まるで軽い洒落を交わし合うように、男達は笑う。

するとそこに突然、一つの影が差した―――。


「雪麗」


影の主はそう囁くと、壁に背を預けながら安らかな寝息をたてている雪麗の肩を微かに揺らした。


「―――牛鬼様!」


酔いどれの介抱を譲り合いという名目で押し付け合っていた男達は驚きの声をあげた。

その場に現れたのは、今日も一段と寡黙さに拍車が掛かっている幹部の一人、牛鬼だったからだ。


「・・・」


だがそんな組員達にも全くの意を介さないのが彼。

牛鬼は自らの羽織を脱ぎ、倒れ込んだ所為か衣が乱れた雪麗の肩にかけると、ふわりとその身体を抱き上げた。


「牛鬼様・・・?」


組員達は唖然としながらもその背中に言葉を投げる。


「・・・どうした」

「あ、いや・・・」


至極当然のように振り返られるから、呼び止めたはずの組員達は言葉を失った。

それでもやはりどこまでも寡黙な男は、彼らに一瞥くれるとまた何事もなかったかのように廊下を歩き出したのだった。


「総大将に見つからなきゃいいが・・・」

「おい、それは邪推ってもんだろう。牛鬼様はただ優しさで雪女を―――」


と言いかけて、男は言葉を切った。

そして苦笑するように息を吐く。


「確かに・・・牛鬼様はどうであれ、総大将はなんと思われるか・・・」


そう思惑することこそが邪推であるとは毛頭気づかない組員達は、好き勝手言っては深まる夜に思いを巡らせるのであった・・・。






「雪―――」


突き当たり。

スッと廊下の角に差した影に声をあげたぬらりひょんは次の瞬間、目の前に飛び込んできた姿に言葉を失った。


「牛鬼・・・」

「・・・ッ、総大将」


羽織に包まれた身体を抱える牛鬼もまた、同じように声をあげた。

微かに跳ねた音吐が、彼の驚きを示している。


「雪麗」

「・・・相当呑んでいるかと」


牛鬼は僅かな逡巡の後、その小さな身体をぬらりひょんの腕へと渡した。


「全く、ワシらの気も知らずに・・・すまぬな、牛鬼」

「いえ」


己のことのように謝罪を口にする主に牛鬼は短く言葉を返すと、そのまま踵を返した。


「牛鬼」


その背中を呼び止めるのは、ぬらりひょん。


「・・・何か」


牛鬼は静かに振り返る。

揺るぎなく主を見つめるその瞳からは、感情を窺い知ることはできなかった。


「お前のだろう?」

「・・・」


二人の間に渡されたもの。

それは、雪麗の身体にかけられた牛鬼の羽織だった。

ぬらりひょんの手が乱れた雪麗の着物を正す。

襟元を合わせる。


「・・・えぇ」


吐息のように短く、そして静かに返した牛鬼はそれを受け取ると、また静かに来た道を戻っていった。


「・・・分からぬ男だな、あれも」


ぬらりひょんは誰ともなく呟いた。

腕の中で安堵のような溜息を漏らす側近に、恨めしげな視線を向けながら・・・。
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