創作 弐
□君へ。
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遠くの方から。
タタタッ、と軽快な足音が近づく―――。
「リクオくんッ!」
スカートを揺らして。
長い髪を流して。
キミはボクのもとへと駆けて来た。
「どうしたの?つらら」
僅かに息遣いの荒い彼女にボクは問い聞く。
“つらら”
そう囁く時は、努めて声を潜めることを忘れずに―――。
「お弁当の時間です!」
つららは手にしたお弁当箱を掲げると、楽しそうに微笑んだ。
今日も早起きしてボクのために作ってくれたんだとか、凍っていてもつららの作った料理は美味しいんだよなとか。
思うことはいっぱいあった。
けれどボクの意識を支配するのは、それとは全く別のことで・・・。
「どうしたの?何かいいことでもあった?」
学校に籍を置かないつららは、ボクが授業を受けている間は屋上で青と一緒に校内の警邏をしている。
それが一日のうちで数えられるほどの時間で、その上、目の届く場所にその姿があると分かっていても、やっぱり自分の知り得ないところで彼女からこんな笑顔を引き出させる要因があるのかと思えば、正直面白くなかった。
それなのに。
胸中で密かに気落ちするボクを知ってか知らずか。
キミは笑顔でこう言うんだ―――。
「お弁当の時間ですもの。学校で一番長く、リクオ様のお側にいられる時間です!」
そして、嬉しそうに破顔する。
「つらら・・・」
「さぁ、時間がなくなってしまいます。早く行きま―――」
「つらら」
くい、と細い腕を掴んで華奢な身体を引き寄せて。
ボクは不意にその耳元に唇を寄せた。
「・・・今日は天気がいいから、裏庭で食べようか?」
「へ?」
今まではずっと屋上で食べてきたから、つららが不思議がるのも無理はない。
頓狂な声をあげる彼女に、ボクは畳み掛けるように言った。
「今すぐ、抱きしめたい・・・」
それはもう本当に、ふと湧いた感情で・・・。
「若・・・」
首筋に顔を埋めれば、知った彼女の香りがした。
鼓膜を揺する“若”の響きが、当たり前ながら学友からは決して聞けない言葉であるから、こんな些細な箇所からも、彼女とボクだけの“特別”を知らされるんだと心が温かくなる。
「若ッ・・・」
学ランを握りしめる冷たい指先。
縋るように抱きしめ返されれば、今度は同じ気持ちを共有していることに歓喜が溢れた。
「キス、していい?」
「え―――ッ、」
返事を待たず、ボクはその冷たい唇を塞ぐ。
全部が愛おしくて堪らない。
「ん・・・」
「つらら・・・」
それは唇を触れ合わせるだけの口吸いだった。
けれど何よりも心地好く、何よりも幸せな―――ボクらだけの時間、ボクらだけが知る幸せ。
「・・・ごめんね、急に」
「・・・いえ」
と言ってもつららは気恥ずかしそうに顔を背けるから、ボクはほんのり朱くなっていく横顔に苦笑して、彼女の膝の上のお弁当箱にそっと手を伸ばした。
「食べようか」
「はいッ!」
今度は嬉しそうに頷く。
驚いたり、照れたり、喜んだり、笑ったり。
くるくると変わる表情も、彼女の魅力の一つだって・・・ボクは知ってる。
「あ、これ、昨日の夜作ってた―――」
「そうです!若が摘まみ食いをされた卵焼きです」
お弁当までのお楽しみだったんですよ!と、つららは拗ねたように頬を膨らませた。
「ごめんね、美味しそうだったからつい・・・」
「私は若をそのようにお育てしたつもりはありません!」
そして、こうして時折ボクを子供扱いすることもいつものことで―――。
「じゃあこれは我慢するよ・・・」
言ってボクはお弁当箱をつららの膝に返した。
「へ?」
「ごめんね・・・」
「ッ、!だ、だめです!きちんと食べなくては!」
「でも・・・昨日、摘まみ食いしちゃったし・・・」
「ッ、・・・こ、今回だけは特別ですッ!」
「・・・特別?」
「はい!ですからどうぞ!リクオ様のお好きなものばかりですから、たくさん食べてくださいね!」
今週に入って何度目かの“特別”な許可を貰ったお弁当箱は、そうしてまたボクのもとへと戻ってきた。
「ありがとう、つらら。いただきます」
「はい!」
正座をしながらボクを見つめるつらら。
「美味しいですか!?」
「うん、すごく美味しいよ」
ぱあっと表情を綻ばせるつらら。
「明日は何がいいですか!?」
「明日は・・・あ、ハンバーグがいいな」
「ハンバーグですね!!」
満面の笑みで頷くつらら。
全部いつもと変わらない、けれどいつもボクの心を暖かくしてくれる、そんな大切な―――。
「・・・ありがとう」
大切な、つらら。
伝えきれないくらいに想ってる。
キミへの―――。
「ありがとう・・・」
了