創作 弐
□形なきもの
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「ねぇ、雪女」
「はい、なんですか?リクオ様」
主の部屋で箪笥の整理をしていたつららは、その声にくるりと振り返る。
見ればつい先まで机に向かって何やら書き物をしていた彼が、今はこちらにジッと視線をくれていた。
「・・・雪女はボクのこと好き?」
「―――・・・はい?・・・あ、えぇ、お慕い申し上げておりますよ」
たっぷりと間を置いて。
一瞬何事かと逡巡したつららだったが、すぐににこりと微笑むと着物の裾を捌いて腰を上げた。
だが・・・。
「違うよ!そうじゃなくて、ボクのことをちゃんと好きかって聞いてるの!」
「・・・えぇッ!?」
またしても充分な間を置いて、つららは劈かんばかりの声をあげた。
だがすぐに慌てて自身を宥める。
多種多様な意味を持つ“好き”という言葉。
そもそも、彼の言う“ちゃんと好き”というのはどういうことだろうか。
雪女大好きー!!、と無邪気に抱き着かれることは多々あったが、こうして改めて自分のことを“好きか”と問われることは初めてで・・・。
「もちろん、大好きですよ?」
「・・・本当に?」
「へ?」
(ど、どこでそんな目を覚えてらっしゃったのですか・・・?)
突き刺さるような視線を向けられたつららは動揺のあまり言葉を発することができず、代わりに限界まで見開いた瞳をぐるぐると回した。
そしてそんな彼女を驚かせたリクオの眼差し―――それは、つららの言葉など端から信じていないとでも言うような、酷く訝しげなものだった。
「ど、どうされたのですか?急に」
「・・・別に」
(リ、リクオ様ーッ!!?)
ふいっと顔を背けて、我が主は手元の画用紙に視線を戻してしまう。
それでもつららはわなわなと身体を震わせることしかできず、書き物をするリクオを黙って見ているしかなかった。
「おやすみなさいませ、リクオ様」
顔の半分を布団に埋めたリクオに、つららは微笑みながらそう言った。
そして柔らかな髪を一撫ですると、明かりを消すため灯火に手を伸ばした―――。
「・・・ねぇ、雪女」
「はい?」
刹那。
背中にかけられた声は酷くか細かった。
つららはゆっくりと振り返り、小首を傾げる。
「目が覚めてしまいましたか?」
「・・・」
夕餉の際にはうつらうつらとしていたリクオだったが、各所から寄合のために貸元達が訪れ屋敷が俄かに賑わえば、彼の眠気もどこかに吹き飛んでしまったようだった。
「では、少しお話をしましょうか?」
つららは踵を返し、まだ微かに温もりの残るリクオの枕元へと再び腰を下ろした。
「うん・・・」
「先程、鴆様とお話をされていましたね」
「うん」
視線だけをつららに向け、リクオは布団に潜ったまま小さく頷いた。
「鴆様は先月の寄合を欠席されていますから、お会いになるのは久方ぶりだったでしょう?」
「うん、鴆くんも言ってたよ。いい子にしてたかって」
「まぁ」
リクオ様はいつもいい子ですよね、とつららはその頬を撫ぜた。
「・・・ねぇ、雪女」
「はい?」
「・・・好きな人とは、ずっと一緒にいられるって本当?」
「・・・え?」
「・・・聞いたんだ、ずっと一緒にいたいって思うことが好きだってことで、だから好きな人とはずっと一緒にいられるんだって」
「・・・」
大方、学舎かどこかで見聞きしてきたのだろう。
学友の話を自分のことのように楽しげに語る様相は、いつだってつららの心を和ませた。
けれど今は―――。
「リクオ様・・・」
「好きって思ってたらどこにも行かない?ボク、雪女も青田坊も黒田坊も首無も河童も毛倡妓も、牛鬼も鴆くんもみんな好きだよッ!?」
「ッ、・・・」
必死。
言うならばそれ。
幼子が懸命に想いを伝えようとする様は、つららの胸を痛いくらいに締め付けた。
「・・・“好き”という言葉には、色々な意味があるのですよ、リクオ様」
「色々な、意味・・・?」
リクオは不思議そうにつららを見返した。
「えぇ。ですがそれは、リクオ様ご自身がこれから学ばれてゆくことです」
「ボク・・・?」
「私も、青も黒も首無も河童も毛倡妓も。もちろん牛鬼様も鴆様も、皆リクオ様が大好きです。離れてなど・・・いきません」
淡く微笑んで、つららは不安げに揺れるリクオの瞳を見つめた。
「雪女・・・」
思えば、これまで一度だってその言葉を尋ねられたことはなかった。
“どこへ行ったのか”
幼子ならば真っ先に聞くであろうそれを、彼は言葉にすることなく囲う大人達の中で一人、理解してきたのだ。
父の死を―――。
「若菜様も、総大将も・・・皆、リクオ様が大好きです」
“愛している”には、まだ早い。
「・・・うんッ!」
考えるようにした僅かな逡巡の後、リクオは満面の笑顔で頷いた。
「眠くなっちゃった・・・」
「そうですね、明日はお休みですが夜更かしはいけませんね」
つららは微笑むと、リクオの肩口にそっと布団をかける。
「おやすみなさいませ、リクオ様」
「明日も納豆小僧達と遊ぼうね?」
「えぇ」
「鴆くんも呼ぼうか」
「今日は泊まっていかれるようですから、明日聞いてみましょう」
「みんなで遊ぼうよ、青も黒も呼んで、首無も河童も毛倡妓も・・・みんな、で・・・」
そこでふと、語尾が消え入った。
「・・・リクオ様?」
だがその声に返るは、規則正しい寝息のみ・・・。
「ふふっ。・・・おやすみなさいませ、リクオ様」
衣擦れの音と共に、ふっと灯火が消えた。
「・・・大好きですよ」
了