創作 弐
□終う愛なら要らない
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「うッ、・・・」
脳頂を叩き割るような鈍痛と脈打つような胸の痛みに堪えながら、雪麗は懸命に歩を進めた。
「ハァ、」
迂闊だった。
酔っていたとはいえ、突然の襲撃に即時に対応できないとは―――。
「総大将側近がッ、・・・ハッ、聞いて呆れるわ」
人気のない廊下に吐き捨てたその言葉を拾う者はいない。
「ほんと、踏んだり蹴ったり・・・」
雪麗は自嘲するように薄く笑うと、漸く辿り着いた自室の戸に手をかけた。
そして倒れ込むように身体を畳に横たえると、荒く息を吐く。
ちらりと、胸部を見遣ればそこには薄い氷塊越しに深々と抉られたような傷。
―――否、事実抉られたのだ。
「ったく、なんでこんな目に・・・」
雪麗は呟いて着物の掛衿を掻き毟った。
そしてその頃、時を同じくして幹部の面々が集まる居間では―――。
「牛鬼、どうかしたか?」
ふと、視線を辺りに巡らせた仲間に木魚達磨は問い聞いた。
「いや」
と言いつつ、牛鬼は腰を上げ居間を出ていこうとする。
「おい、牛鬼!?」
「・・・」
だが、らしからぬ彼の言動に木魚達磨が言葉をかけても牛鬼は振り返ろうとせず、厠じゃろう、というぬらりひょんの間の抜けた声が部屋に残るだけだった。
そして当の牛鬼はというと・・・。
居間を後にした彼は、先程から鼻孔を掠めている臭気を辿るように、渡殿を足早に進んでいた。
「・・・」
この臭いを、牛鬼は知っていた。
「・・・」
そうして辿り着いた先。
そこは知った仲間の部屋の前だった。
「・・・雪麗」
牛鬼は戸の向こうにいるであろう仲間の名を呼んだ。
気の流れで、部屋の中に彼女がいることは分かっている。
「・・・牛鬼?」
「あぁ」
それはもう、酷く気怠げな音吐。
たっぷりと時間をかけ、漸くその戸が開かれた頃には床板から伝わる冷気が牛鬼の身体を覆っていた。
「何か用?」
そう言って全てが開ききらない戸から顔を覗かせたのは、濡羽色の髪を乱し瞳もどこか虚ろな雪女―――雪麗。
牛鬼は気に掛かったそこには遇えて触れず、早速に本題を切り出した。
「何か、感じぬか?」
「え?」
「先から血腥く適わぬ・・・雪麗、何か知っている―――」
そこで、牛鬼は言葉を切った。
射るような、その鋭い眼光が追う先は・・・。
「雪麗ッ―――!」
「あぁ、これ?」
雪麗は苦笑して胸元の傷口を隠すように着物の掛衿を合わせた。
「どうしたッ」
「別に、大したことじゃないわよ」
「しかしッ―――」
詰め寄る牛鬼に髪を振り、雪麗は隠そうともせずあからさまな溜息を吐いた。
黙って見過ごす彼でないことを、彼女自身がよく知っているのだ・・・。
「ぬらりひょんには黙っててよ」
そう言って、雪麗はぽつりぽつりと語り出した。
「夕餉の後、ちょっと外に出たくてね―――」
夕刻。
食事を済ませ銘々思うように過ごす中、雪麗はふらりと屋敷を出て気晴らしに酒場へと足を運んだ。
その帰路に―――襲撃を受けたのだ。
「一瞬よ、一瞬」
雪麗はひらひらと手を振り笑って話す。
が、牛鬼の表情は終始顰められたままだった。
「ご丁寧に名乗られちゃったわよ―――あぁ、うちの組の奴らね」
「なに?」
「相変わらずの反対勢力、驚くことないでしょ」
例え翼下とし寄り集まったとて、皆が志一様とは限らない。
それは尽きぬ遠望。
「その上、あの女のことまで持ち出してきてさ・・・」
そこで初めて、雪麗の顔に憤怒の色が浮かんだ。
「人と交わるなんて大将は何考えてるんだとか、組の弱体化は幹部の責任だとか・・・そんなこと、私が知るかっての」
苦虫を噛み潰したような顔で雪麗は吐き出す。
「応戦したのか?」
「当たり前よ。・・・まぁこんな怪我貰って帰ってきちゃぁ情けなくて他言できない私の気持ち、分かるでしょう?」
「・・・」
きっと相手の数は牛鬼の想像を遥かに超える。
女といえど、彼女は紛れもない総大将側近なのだ。
「総大将には・・・」
「だから話さないでって言ってるでしょ」
雪麗は微かに苛立ったように語気を強めた。
「自分のことくらい自分でなんとかするわよ。それに―――」
彼女の虚ろげな瞳が映すものはなんなのか・・・。
「怪我したなんて知れたら、またあの女が余計な心配するでしょ」
「珱姫はお前を気遣って―――」
「分かってるわよッ!!」
部屋に、怒号が響く。
「だからそれが余計な世話だって言ってるの!・・・人間は人間らしく・・・“人”のことだけ考えてればいいのよ。私達妖怪には、関係がないんだから・・・」
“側近の力がこの程度じゃぁ、人間の娘の首を取ることも造作ないな・・・”
「・・・あの女は、関係ない」
雪麗の呟きを、牛鬼はただ黙って聞いていた。