創作 弐

□月影の雪に巡る
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「雪女」

「何よ?」


妻の愛しさを可憐と呼ぶなら、彼女の麗しさは艶美。

振り返る仕草すら妖艶で、慣れた瞳孔すら刹那に虜。


「ワシの羽織紐を知らんか?」

「知らないわよ、あの女に聞いたらどう?」


彼女がその視線をくれたのはほんの一瞬の出来事で、彼が問いを乞う頃には既にそれは庭先へと向いていた。


「珱姫に聞いても分からぬからお前に聞いている―――」

「ぁ、牛鬼!」


その時。

渡殿を歩く人影に、雪麗が小さく声をあげた。


「ぬらりひょん、アンタの部屋にある箪笥の小抽斗に似たようなのが入ってるわ」


雪麗は彼の顔も見ずにそう言うと、自分の物くらいしっかりしておきなさいよと残して足早に去っていった。

着物を揺らし身を翻す様も、濡羽の髪を流す様も無駄な熟しが一つだって見当たらない。

その美艶なる容姿で数多の男を魅了するという雪女の性故か、離れた渡殿で寡黙な組員と語らうその姿からもなぜか目が離せなかった。

紅を点さずとも艶やかな浅緋の口唇が孤を描けば、普段は寡言な組員の情思をも安穏なものへと変えてしまう。

事実、牛鬼にしては珍しく、その表情を和らげていた。


「妖様?」

「―――珱姫、どうした?」


縁を通り掛かった妻に笑む。

触れ合いの隔たり、向けられる笑顔も追懐するは雪女という妖の性。

きっと、それでしかない・・・。






小正月。

雪麗は一人、宵の月を眺めていた。


「―――雪女」

「・・・」

「雪女」

「ッ、!」


彼女にしては珍しく、雪に濡れたその肩が大きく震えた。

濡羽から落ちた雫が積雪に溶けて消える。


「何をしている?」

「・・・見て分からない?」


主の声に振り返らず、雪麗は酷く気怠げな様子で歩き出した。

かさり、かさり。

歩を進める度に鳴る二つの足音。


「・・・ついて来ないでよ」

「生憎、ワシも此方に用があってな」

「・・・」

「何を想っていた?」


ぬらりひょんは平生と変わらず漫然とした声音で、雪麗の背中に問いた。


「アンタには関係がないわ」


だが、返ったその言葉にぬらりひょんの眉ねが寄る。


「・・・お前は、組員の帰省が大将の与り知らぬところと考えるのか?」


そして今度は・・・。

肩も、濡羽も、手指も、視線も。

何も、震わなかった。


「・・・童子が懐かしくなってね」

「ッ、」


そして今度は、ぬらりひょんが肩を揺らす番だった。


「今日は小正月だろう?・・・この手をさ、童子に引かれて歩くんだよ、こんな雪の中を」


雪麗は緩慢な動きで月を見上げた。


「ここは少し温い」


ゆらりと身を翻し、ついと彼に歩み寄る。


「私がいなきゃ生きていけない奴らがたくさんいるんだ、遠野には」

「雪、麗・・・」

「この手で抱えてやって、望月の夜に山野に出て遊ぶ」


その表情は、数多の男を魅了する雪女の姿でも、奴良組組員として戦う女の姿でもなかった。


「・・・」

「ふふっ、なんて顔してるんだい」


けれどすぐに、くつくつと笑う仕草は月明に浮かぶ媚態となって。


「そんな顔してると、あの女とガキが不安になるだろう?」


淡く溶けて消える雪の精はそう言って可笑しそうに俯きながら、いつまでも小さく肩を震わせていた・・・。








 

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