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□戯曲:序章
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「失礼しまーす。氷麗さん、スタンバイお願いします!」


鏡の前でメールを打っていた氷麗は、その言葉に振り返った。


「あ、はい。よろしくお願いします!」


だがその声に応えたのは彼女ではなく、彼女のマネージャーである長身の女だった。

女はパタンと閉じたドアを見送ると、長い髪を揺らして振り返る。


「さあ、そろそろ移動しましょうか」


女―――マネージャーの毛倡妓はジャケットの胸ポケットに手帳をしまうと、鏡越しの氷麗に微笑んだ。


「今日は大丈夫よ、深夜枠でもてっぺんは越えないから」

「でもやっぱり生は緊張するわね」

「ゴールデンに比べたら少ないわよ。あ、Bのとこの新人、今日は当てだって」

「え?そうなの?」

「まぁBなら有り勝ちな話だけど―――」


毛倡妓は苦笑する。


「ま、うちの歌姫は心配無用ね」


言って華やかに着飾った氷麗の先を行き、慣れた手つきでドアを開ける。


「浮かれて・・・、とかやめてよ?まだ事務所にプロデューサーいるんだから」

「何言ってるのよ、それじゃ公私混同じゃない。私はプロよ?」


振り返った唇は桜色に艶めき孤を描く。

アップになった濡羽の髪は白い項を露にし、彼女の魅力を一層引き立てる。

氷麗はイヤーモニターに触れ、小さく深呼吸をした。


「リラックス」


毛倡妓の手が彼女の肩に触れた直後、舞台袖に立ったスタッフが手を挙げた。


『それでは本日のゲスト―――氷麗さんです、どうぞーッ!!』


鳴り響く歓声の中、眩しいくらいのスポットライトが踊る。

氷麗は息を吐き、軽快に一歩を踏み出した。






「お疲れ様」


心地好いピアノの音律が流れる薄暗い店内。

入口からは柱の影となるカウンターの奥に座った男は、サングラスを僅かにずらし入店した女に笑みを向けた。


「リクオくん!」


フードを目深に被ったつららはサングラスを取り、足早にそちらへと向かう。


「お疲れ、どうだった?撮り」


男―――リクオは自分の隣を空けると、バーテンに目配せをしてつららの言葉を待った。


「初めてだったの、あのスタジオ」

「うん。言ってたね」

「思っていたより広くて・・・でも気持ちがよかったわ、みんなも楽しかったって言っていたし―――あ、数字もまあまあだったみたい!」


つららは嬉しそうだ。

そんな彼女の様子にリクオは苦笑する。


「まあ喜ぶべきかな、ここは」

「リクオくん?」

「あの歌番の裏、出てるんだよ、ボク」

「え!?」

「まあレギュラーじゃないし、平均的に取れてる番組ではあるらしいけど」


言ってリクオはグラスを手に取った。

彼は今、話題沸騰中の若手俳優なのだ。


「でも、つららのことならボクも嬉しいよ」


その時、丁度つららの前にもグラスが運ばれてきた。


「お疲れ様」

「ありがとう。リクオくんもお疲れ様」


二人は笑い合ってグラスを傾けた。






「対談?」


事務所の一室で、氷麗は頓狂な声をあげた。


「そう。だいぶ安定してきたし、これからは色々チャレンジさせようって社長がね」


毛倡妓は嬉しそうに手帳にペンを走らせる。


「宣伝部も張り切っているわよ〜?あ、これマーチャンからツアーグッズの一覧ね。あとこの間撮ったジャケ写のサンプルも届いてるから、一応目を通しておいて」

「あ、うん・・・」

「そういえば昨日、会えたの?」


毛倡妓は手帳に目を向けたまま、唐突に呟いた。

氷麗は手を止める。


「うん」

「どう?最近忙しかったから、息抜きになった?」


その言葉はとても穏やかで。


「うん、色々話せたから」

「まあうちはどこそこと違って恋愛禁止なんて古臭いことは言わないし、アンタなら大丈夫だと思うけど―――」

「・・・」

「気をつけてね。例のとこの敏腕に、目付けられてるんだから」

「・・・分かってるわ」


恋愛関係―――とまではいかないが、氷麗は俳優の中でも特にリクオとの仲を厚くしていた。

出会いは半年ほど前。

彼が主演するドラマの主題歌を氷麗が担当し、脚本家主催のパーティーで初めて顔を合わせた。

歳も同じということから二人は自然と心通わすようになり、互いの事務所の暗黙を得てよりよい関係を築いてきた。


「あ、ところでさっき言った対談の話だけど―――」


氷麗は毛倡妓の言葉に我に返った。


「えぇ」

「氷麗も知ってると思うけど―――うちも事務所が近いからね、モデルのRikuo、知ってるでしょ?」

「あぁ、あの雑誌の―――」


発行部数で異例の快挙を成し遂げたというメンズ向けファッション雑誌の専属モデル、Rikuo。

彼が着用したものはRikuo効果として飛ぶように売れ、いい意味で空前絶後、プレス泣かせのモデルらしい。


「そうそう。その雑誌の企画らしいんだけど、Rikuoが今話題の人間と対談して―――」


嬉々として語る毛倡妓の言葉に、氷麗は曖昧に微笑んだ。
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