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□花時
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そして―――。

新たな命が生まれる。






時は遡り。


忙しく鳴る足音。

今、奴良組本家には女妖怪の姿がほとんど見当たらない。

在るのは意味もなく辺りを見渡したり不必要に歩き回ったりする、兎に角落ち着きのない男達の姿ばかり。


「本当に・・・この時ばかりはなんの役にも立てないな、男は」


頭を浮遊させた首無が苦笑して呟いた。

どうしたらよいのか分からずただ狼狽える自分達の横を、慣れた手つきの女達が駆ける。

何かできることはないかとその足を止めれば容赦ない叱責が飛んでくることは既に承知済みだ。


「仕方あるまい」


と、それでも所在無さげな黒田坊。


「そういやぁ、リクオ様はどうした?」


そして青田坊までもが手持ち無沙汰でそわそわとしているから、今の奴良家はある意味異様であった。


「あぁ、リクオ様なら―――」






所変わって自室。

リクオは無音の中、ただ一人座していた。



――――――――――



「大丈夫か、つらら・・・」


額に大粒の汗を溜め、口腔から荒い吐息を漏らすその様には己の呼吸さえ詰まる気がした。

リクオは枕元でつららのその小さな指先を握る。


「そんな、顔を・・・なさらないでください。大丈夫ですから」


そう言って、穏やかな笑顔を向ける妻。


「大丈夫ですよ、旦那様」


その場の誰より一番辛そうに表情を歪める大将に、産婆の女が穏やかに微笑んだ。


「つらら・・・」

「・・・ッ、」


波状的な腹部の痛みに漏れる呻き声。

いつもは躊躇いがちに至極ゆっくりと、そしてふわりと柔らかく触れてくる彼女の指先は今、リクオの掌にその爪を食い込ませながらその痛みに耐えている。


「もう少し時間がかかりそうですね・・・頑張りましょう、奥様」

「ッ、・・・は、い」


さすがと言うべきか。

老齢の産婆がそう言えば、つららは瞳に涙を溜めながらも懸命に頷いた。

リクオが無言で部屋を出たのは、それから間もなくのことだった。



――――――――――



ここはつららのいる部屋から遠くはないが近くもない。


「・・・」


やるべきことはやった。

あとは産婆と屋敷の女妖怪に托すしかない。


「つらら」


一分一秒をこれほどに長く感じたことはなかった。

そして。

冒頭へと戻る―――。


「ッ、・・・つららッ!」


確かに聞こえる、か細いけれど必死にその命の誕生を知らせようとする力強い産声。


「つらら!」

「リクオ様ッ、」


無我夢中で部屋の前まで駆けると、既に廊下には数人の下女達が集まっていた。

そんな中、毛倡妓が戸に手を掛け入室を待っている。


「おめでとうございます、中へ」

「おめでとうございます」


だが言葉を返している余裕なんてなかった。

縺れる足を叱咤して、飛び込むように部屋に入る。


「つらら!!―――ッ、」


刹那。

目に飛び込んできたのは、気色を失った妻の姿。


「リクオ様・・・」


リクオは息を飲み血相を変えて駆け寄った。


「大丈夫ですよ、旦那様」


産婆が頷く。


「子供はッ―――」

「えぇ、とても元気なお子様です。おめでとうございます」


嬉しそうに微笑んだ産婆の手から、つららの腕にゆっくりと確かな重みがかかった。


「ぁ・・・」


つららの口から言葉にならぬ声が漏れる。

赤みがかった小さな手を結び、睫毛を揺らしながら包み越しの母親の体温に頬を寄せる仕草。


「・・・ッ、」

「・・・」


上手い言葉が見つからない。

否、言葉にならない。

リクオはそっと手を伸ばし、包みの中の赤ん坊に触れた。

柔らかく、暖かい、命。


「つらら・・・」

「ふっ、」


途端につららの瞳から大粒の涙が溢れ出す。


「・・・ありがとな」


言って、撫でるような手つきで二人の身体を抱きしめた。


「リクオ、様・・・」


つららの身体が小刻みに震える。


「ありがとう、つらら」


そして、新しい命の輝きに。


「生まれてきてくれて、ありがとう・・・」






抱き寄せて。

唇を重ね。

二人を愛してゆくと誓う。






時は―――。

柳緑花紅の花盛り。








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