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□夢物語
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静寂が、二人を包む。
「リクオ様・・・」
「・・・つらら?」
リクオの腕の中で、つららは首を横に振った。
「・・・いえ」
「・・・」
「・・・未熟など、百も承知しています。それが組のためと分かっていても、あなたの側に在ることを・・・諦めきれないのですから」
そう言ってその手が握るリクオの羽織には、いくつもの皺が刻まれていた。
リクオは、あぁ、と短く頷く。
「あなたの側に在ることを許されたこの側近という立場が・・・今は酷く煩わしい」
「雪女に、側近以上の任を与えることは許さぬ」
幹部が並ぶ部屋で、家督を譲り隠居生活へと入った初代大将ぬらりひょんは静かに言った。
瞬時に息を呑む面々に、今この場に彼女の姿がないことを、リクオは心の底から安堵した。
婚姻を“任”と括った祖父に感情の篭らぬ視線を向けた彼は、やがてゆっくりと肩の力を抜き、頷く。
「・・・分かった」
「ッ、リクオ様ッ!?」
抗議の一つもなく、放たれた言葉にただただ素直に頷いた主に驚きの声をあげたのは、青田坊に黒田坊、そして首無の三人だった。
「ッ、・・・ぬらりひょん様ッ!!」
「リクオ様ッ!」
「やめろ!青田坊、首無ッ」
「鴆様、しかしッ・・・!!」
乗り出した二人の身体を、鴆の腕が遮る。
「組の言い分は分かった。金輪際、この件についてオレから進言を求めることはねぇ」
「リクオ様ッ!!」
「・・・」
誰も、何も言わなかった。
否、言えなかった。
「邪魔したな」
「リクオ様ッ・・・」
大将の言葉は賛同すべきものだった。
何より皆、彼と彼女の馴れ初めを昔日からその目で見てきたのだ。
彼には彼女が、彼女には彼が必要なのだと信じて疑わなかった。
けれど―――。
「ぬらりひょん様・・・」
「・・・」
初代総大将の言うことも、間違いであると即断できるものではなかったのだ。
「・・・組のことを考える、それが三代目である彼奴を考えるということだろう」
取りも直さず、それが初代総大将の結論。
そして目の前に差し出された組にとっての恰好の条件は、諾否に迷う時間を許さなかった・・・。
「しかしッ、リクオ様は雪女を―――」
「彼奴が進言を求めぬと言っている、これ以上波風を立てるな」
「なッ、波風とは―――」
「ならばお前に、これからの奴良組が背負えるかッ!?」
「ッ、―――」
「・・・全ては組のためじゃ」
苦汁の決断なのだと、彼らは悟った。
好きで、二人を引き離すわけではないのだと。
伴侶として迎え入れることは許されず、けれど側近として据え置くことは許される。
リクオには、その線引きが分からなかった。
「リクオ様・・・?」
不意に、腕の中に抱かれたつららが見上げるようにして問い聞くからリクオはハッとしたように数次瞬きを繰り返した。
先程から、黙りこくったまま微動だにしないリクオを、つららは不思議に思ったようだった。
「あぁ、悪い・・・」
「・・・リクオ様」
儚げに呟くつららにリクオは努めて笑って見せ、その華奢な身体をきつく抱きしめる。
「ッ、・・・リクオ様」
「つらら」
愛しいと。
守りたいと。
離したくないと。
心が訴える。
「ここは、オレたちのいるべき場所じゃねぇのかもな・・・」
「リクオ様・・・?」
「・・・全てを棄ててでも、オレについて来る気はあるか?つらら」
「ッ、」
リクオの言葉に、つららは虚を突かれたようだった。
けれどだんだんとその強張った表情を緩めると、小さく一つ、息を吐いた。
「・・・あなたの側近であることは、私にとって生き甲斐でした」
「・・・つら、ら?」
思い出を振り返るように語り出すつららに、リクオは瞳を見開く。
「・・・けれど、煩わしさを感じてしまったんです・・・あなたの側に在ることを許されたこの側近という立場に」
つららは淡く笑んだ。
「・・・奴良組の雪女―――つららは、総大将の決議を受けたあの瞬間・・・その命を終えたのです。・・・私はどこまでもあなたにお供いたします。未来永劫、あなたのお側におります」
つららの瞳に揺らぎはなかった。
真っ直ぐに、主を―――愛する男を見つめる。
「つらら・・・」
「悔やまぬために、ここを出るのです。ですからそのようなお顔をなさらないで―――」
リクオの頬を、冷たい指先が撫ぜた。
「つらら・・・」
「お側におります、リクオ様・・・」
翌朝。
炊事場に姿を見せない仲間を不審に思った組員が人気の無い彼女の部屋に驚駭し、慌てて主君の部屋へと駆ける頃。
主を失ったその部屋で、一枚の紙片がひらりと舞った。
二人の選んだ未来は音もなく、誰にも知られることなく静かに始まる―――。
今までありがとう。
・・・さようなら。
了