雑記

□叶わない未来を願う者の末路
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「おはようございます、三代目」


ずらりと、同じ衣を纏い同じ表情をつくった女達が主の御成りに一様に頭を下げた。

寸分の狂いなく列を成したそこを、男は無言のまま歩く。

言葉も、視線すら向けることなくそこに在る己の姿こそが真であるかのように、その男はただ感情の篭らぬ顔で歩いていく。

その中でただ唯一一人だけ、他の者とは異なる想いを抱く者がいた。

女中の一人―――その名をつららという少女。


「旦那様・・・」


その呟きは誰の耳に届くこともなく冬ざれの空気に流れて消えた。






あれは一週間ほど前のことだった。

夜半、なかなか寝付けずに部屋を出たつららは庭先に降り、池の辺に座り込んでいた。

魚の姿など見えない。

その目に映るのは見慣れた己の顔と風が生み出す波紋のみ。

到底眠気など訪れなかったが、閉鎖的な空間に比べれば自然の満ちるここのほうが大分ましだった。


「誰かいるのか?」


その時。

不意に鳴った声につららは身体を震わせた。


「三代目・・・」

「・・・何してんだ?こんなところで」


屋敷に入り二年余り。

初めて交わした言葉は酷く間延びのしたものだった。


「寝付けなかったものですから・・・」


偶然見かけたから義理で声をかけただけ。

興味などないと分かっていたからつららは大した感情も込めず呟いた。


“己以外に関心を抱かぬ男”


それが彼の異名だったから・・・。


「そうかい」


案の定、主は気のない返事だけして去っていってしまった。

何かを期待していたわけではない。

名前を呼ばれたわけでもない。

それなのに・・・。

彼の視界に一瞬だけでも自分の姿が収められたことに湧くこの感情はなんだ。


「さ、三代目ッ・・・!!」


気づけば、その名を呼んでいた。

けれど淡く湧いた想いは刹那の後に脆く崩れ去る。


「ぁ、・・・」


聞こえていたはずなのに。

肩が震えたはずなのに。

一向に振り向く気配のない背中に、つららは自嘲した。


「・・・何を期待しているの?」


止まらぬ足だって。

今はもう見えぬ姿だって。

なんら普通のことなのに。


「ただの女中がッ・・・」


触れたい、なんて―――。

思っていない。








 

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