□愛する、それは
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「大佐に“部下としてじゃなく女としてみて欲しい”とか、思わないんスか?」

…少尉がいきなりそんな事を訊ねてきたから、私は一瞬得意なはずのポーカーフェイスを崩して驚いてしまった。少尉はまっすぐ前を向いていて、 隣に立つ私の方は向いていない。よかった。驚いた顔は見られていない。

「どうしたの? 急に」

「いや、ちょっと気になったもんで」

そう言いながら、少尉が私の方を向く。 気になったって。仕事中に何を気にしているのかしら。まったく。呆れた。

少尉はそんな私を見て、苦笑いをしながら私から視線を外した。 再びまっすぐに前を向いた少尉につられるように、私も少尉と同じ方向を、まっすぐに見た。

私達が見ている先には、大佐。と、女性。そう、私達は今、大佐の護衛をしている最中な のだ。大佐は先程から声をかけてきた女性と会話中。そして私達二人は、女性がちらりと私に視線を向けたのを見た大佐に「君達は向こうで待っていなさい」と言われたので、この会話は聞こえないがきちんと大佐と女性の姿を確認することが出来る場所に居る訳だ。

「中尉。質問に答えてくれないンスか?」

しつこいわね。そんなくだらないことにこだわって 、いったい何になるのかしら。一応、仕事中よ。……上司は先程からとっても楽しそうに女性と会話をしているけれどね。何だあの姿は。

「答えて、くださいよ」

少尉の視線を感じた。そんな…懇願するように言わないで。どうしたらいいのかわからなくて困るわ。あぁ、もう、まったく。負けたわ、少尉には。


「部下としてみてくれないと困るわ」

「…それは…どういう意味ッスか? 俺、わかんねー」

「わからないなら、もう、それでいいじゃない。この話は終わりよ」

「あぁ!待ってください中尉!!」

なんだ。これでせっかく話を終わらせることが出来たと思ったのに。少尉はまだ続けるつもりなのか。こんな不毛な質問を。

「何?」

「……」

ちょっと、どうして黙るのよ、少尉。少し睨んだだけじゃない。そんなに恐かった?まったく。訳がわからないわ。

少尉は諦めることはない。諦めたのは、私だ。ひとつため息を吐いてから、仕方がないと話を始める。

「少尉、私はね」

私が口を開くと、少尉は私と視線を合わせてきた。真剣に話を聞こうとしてくれるのは、 仕事の時だけで充分だ。今はそうやって目を見られていると話しづらい。

気まずくなって大佐の方を見てみれば、大佐は女性のきれいな茶髪に触れていた。そしてそのきれいな茶髪の持ち主と見つめ合っていたのだ。それを見ると、またひとつため息が出た。

私は少尉のように相手の目を見ることが出来そうにないから、目を伏せた。

「大佐と見つめ合いたいなんて、思ったことがないわ」

そうだ。私は、あんなふうに見つめ合いたいと思ったことが無い。ただ、何故か、女性と見つめ合う大佐の姿を見ると胸が苦しくなったが。

「中尉」

「でもね少尉」

少尉が何かを言いかけたけれど、それは言わせず遮り私は話を続ける。少尉も黙って私の話を聞こうとしてくれていた。

「…大佐と、一緒に同じ方向を見つめたいとは、思っている」

少尉の目を見て、答えた。

ああ。どうやら漸く、終わったらしい。女性は微笑みを浮かべて大佐に向かって手を振っている。あぁ。でも、どうやらこっちはまだ終わらないようだ。少尉は黙って何かを考え込んでいる。

「大佐が、」

「え?」

「大佐が、『愛するとはな、互いに見つめ合うことではなくて、一緒に同じ方向を見つめることなのだよ』って、前に言ってました」

「…………は?」

“愛する、それは”

「何を話している」

少尉が発した言葉に唖然としていると、突然 、大佐の声がした。驚いて声がした方を振り返ると、大佐の表情が何故か怒っているように見えて、私はさらに驚いた。

大佐が女性との会話を終えたことには気付いていた。大佐の護衛をしているのだし、当たり前だ。けれども大佐が私達の所へと来ていることに気が付かなかった。少尉の言葉に、 気をとられ過ぎていた。これでは護衛官失格だ。

「大佐ぁ、愛って何でしたっけ〜?」

「……ハボック、貴様、中尉と何を話していた 」

大佐の声のトーンが下がった。表情も、険しいような気がする。いったいどうしたというのだろうか。

……あぁ、やっぱり、私語は厳禁よね。仕事中だもの。

「答えろ、ハボック!」

「えっ?!え、いや、そのっ…… ぎゃーー! !!」

私が今度から私語は慎もうと反省をしていたら、少尉の悲鳴が聞こえた。

少尉の髪が少し燃えていた。

「少尉!大佐!」

慌てて大佐から逃げ惑う少尉に駆け寄ろうとしたが、腕を大佐に掴まれてしまった。これでは少尉の所へ行けない。

「大佐?」

「あんなヤツは放っておけ、中尉。…行くぞ 」

そのまま腕を引っ張られる。足を縺れさせながらも、大佐に付いて行く。

「大佐!腕、離してください、痛いです!大佐!」

…無視された。 立ち止まることも、掴んでいる私の腕を離すこともせずに、ただいつもよりも速いスピードで歩く大佐に、私はついて行くので精一杯だ。

「少尉と、何を話した?」

大佐が急に立ち止まった。それはあまりにも突然だったから、私は大佐の背中に自らの鼻をぶつけてしまった。

「え?」

鼻を擦りながら訊き返す。訳がわからなかった。

何故大佐はこんなにも機嫌が悪いのだろう。 不機嫌の理由はいったい何?そんなに仕事中に少尉と話していたことがいけなかっただろうか。それならみんなにも、私語は厳禁だと言っておかないと。

「申し訳ございません、仕事中だというのに私語など。以後、気をつけます」

「いや、そうではなくてだな、……何を話していたのかを訊きたいんだが」

「?少尉と何を話していたか、ですか」

大佐が不機嫌な理由は、仕事中の私語ではなく、その会話の内容?

「……私に言えないような話? ハボックは私に、その、愛は何だったかと訊ねてきたが」

「あぁ、はい。愛はお互いに見つめ合うこと ではなく、一緒に同じ方向を見つめることだと教えていただいたんです」

「へぇ。…なんでそんな話に?」

「私が大佐と一緒に同じ方向を見つめたいと思っていると言ったからですが。…それがなにか?」

特に何も考えずに、言った。この時の私は、 大佐が何を怒っているのかがどうしてもわからなくて、それが悔しくて。もう、それしか考えていなかったのだと思う。強引に腕を引っ張られて、少し腹も立てていたのかもしれない。

いま思い出したことが、ひとつ。一緒に同じ方向を見つめることが愛なのだと、大佐は少尉に、言ったって。

「……私も、君と一緒に、同じ方向を見つめたい――」


愛する、それはお互いに見つめ合うことではなくて、一緒に同じ方向を見つめることである。
サン・テグジュペリ

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