誘惑蜘蛛 book
□誘惑蜘蛛
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「……大丈夫ですか?」
三蔵が去ってすぐ。このお寺の住職さんであろう方に話しかけられて顔を上げる。ごしごしと目を擦って涙を拭えば、困ったように眉を下げた住職さんがいた。
「っ、大丈夫です、ごめんなさい、」
わたしはきっと、相当酷い顔をしていただろう。取り繕うように笑うけど、それさえも上手くできている気はしない。
「急に話しかけてしまってごめんね。ただちょっと、気になって」
「?」
「ほら、今の人。君の知り合いだろう?」
「……はい」
気になった、と言った住職さん。それはわたしが泣いていたことだと思っていたのに、紡がれたのは三蔵のことで。なぜ、三蔵のことを知っているんだろう。ここに来てくれてたとは言え、覚えていることが不思議だ。
「彼ね、毎月絶対来てたんですよ」
「っ、!」
「毎月ここに来て、花を添えて、たまに掃除も。やたら真剣に手を合わせてるもんだから声をかけたことがあってね。このお墓には大切な人が眠ってるんですか、って」
話されるのは、わたしのしらない出来事。わたしはてっきり命日だけ、ここに来てくれてたと思っていたが三蔵は月命日に毎回来てくれていたんだ。花が生き生きしてたのも、お墓がキレイだったのも、命日だからじゃない。毎月来てくれてたからだ。
「そうしたら、血縁のお墓じゃないというから驚いたよ。じゃあ何故そんなに丁寧に手を合わせるのか、と尋ねたら彼はこう言ったんだ。ここには大切な人の大切な家族が眠っている。俺が手をあわせるのは死んだ者の為じゃない。生きている者の為だ、と」
「っ、」
視界が、開かれていく感覚。貴方がここに来て、手を合わせていた本当の理由。
「どんなに辛いことがあっても、生きていかなければならない状況になってしまった、大切な人の為だ、と。彼はそう言っていたよ。……それは貴女のことだったんだと、今理解しましたよ」
いつも、誰よりも。わたしをわかってくれていたのは誰だったか。甘やかすでもなく、かと言って突き放すでもなく。わたしが1人で立ち上がれる絶妙な位置でわたしを見守ってくれていたのは誰だったか。
そんなことに、知っていたはずだったのに。改めて気づかされるわたしは。なんて愚かなんだろう。
「っ、ごめんなさい、わたし、」
「行きなさい、彼の車、その道を下がったところにあったよ」
「っ、ありがとうございます、」
住職さんへのお礼もそこそこに、走り出す。貴方が、わたしを想ってくれてたこと、ちゃんと知っていたつもりだった。理解しているつもりで、わかっているつもりであなたから離れた。
こんなにも、深く、深く。わたしの知らないところで愛されてた、なんて。去り際の三蔵の声が頭に響く。言葉では伝えられない程の想いを、貴方は呑み込んでた。それに気付けないわたしは馬鹿だ。
「っ、三蔵!」
久しぶりに走ったせいで足がもつれそうになる。けど、転んだっていい。貴方に追いつけるなら。今離れてしまったらきっと、わたしたちはもう逢えない。