誘惑蜘蛛 book

□誘惑蜘蛛
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みんなにさよならしてから、1年と5ヶ月が過ぎた。わたしは相変わらず、わたしのことを知ってる人が誰1人いない土地で過ごしていて、毎日を坦々と生きている。





「懐かし、」




ここに来るのは、1年ぶりだ。1年前の命日に来た以来、お墓に来ることはなかった。この街に来ることが怖かった。もし万が一
どこかで彼らに逢ってしまったら。もし、その瞳と視線が合ってしまったら。また、縋ってしまうのが怖かった。もう何も壊したくないと離れたのに、強く生きると決めて離れたのに、逢ってしまえばダメになってしまうことが怖くて。弱いわたしは、そうすることでしか自分を保っていられない。



1年と、5ヶ月。わたしはあの時より少しは強くなれただろうか。残念ながら比べてくれる人たちとの再会は望んではいけないし、あってはならないのだけど。



一歩一歩、階段を踏みしめて歩く。1年前、ここに来た時はまだ辛くて、泣き顔を、たとえお墓にだとしても見せたくはなくて、花を変えて掃除をして手を合わせて、せわしなく帰った。今年は1年前よりは落ち着いていられる気がして、こうして階段を上る。




「全然来なくてごめんね、みんな」




辿り着いたお墓。1年前と変わらないそれは、ただ静かにそこにあって、まるでわたしを待っていてくれるようだとひとり都合のいいように解釈した。1年前より落ち着いていられることに小さく安堵。こうして、時間が経てば経つほど記憶は想い出に変わっていくんだろうか。それがいつか、本当にそうなるかなんてわからないけれど、確かに1年前とは違うそれにわたしは前に進めているような気がして小さく微笑んだ。





「今キレイにするからね」





汲んできた水の入ったバケツを下ろして掃除に取り掛かる。にしても、なんだか1年来ていないのがウソだというくらいキレイに片付いてる。そういえば、余裕がなかったから気にしなかったけど1年前もキレイなままだった。そして今更思い出したのはキレイな花が飾ってあったこと。5ヶ月もほっておいて、花がキレイでいるはずなんてなかったのにわたしは気づかなかった。







「随分久しぶりだな」

「っ、!」







不意に、話しかけられて振り返る。そこには逢いたかった、逢いたくなかった、縋りたかった、縋りたくなかった、そんな存在。





「……三蔵、」

「髪、伸びたな」



キレイな金色。宝石みたいなアメジスト。燻る煙草の煙さえ懐かしくて、心が震える。ああ、やっぱりこの人が好きだ。離れて初めて、わたしは誰よりも貴方のことを愛していたことを知った。他の誰でもない、貴方を。


あの日誰よりも先に駆けつけて、わたしの傍にいてくれたひと。あの時立場も顧みずわたしを抱きしめてくれたひと。貴方のとのことをひとつひとつ思い出す度、こんなにも愛しかったのだと。こんなにも、大切だったのだと。


気づいてしまいたくはなかった。けれどもう、気づいてしまってた。傷付けたくなくて逃げたくせに、本当は何がなんでも貴方が欲しくなっていたこと。





「……なんで、」

「お前を迎えに来た。ったく、どこにいるかわからねぇからこうして待つ事しかできなかったんだ」





さあ、と風が吹き抜ける。三蔵のキレイな髪を揺らして、紫煙を巻き上げてく。今、わたしの最愛のひとはわたしを迎えに来たと言ってくれた。わたしが何よりも望んで、何よりも恐れていたこと。




「本当は去年捕まえるはずだったがな」

「……お墓の花、三蔵が?」

「去年午前中から来てたんだがな。途中で外せねぇ仕事が入りやがって……終わって戻ってみればもう来た後だったみたいでな。早ぇんだよ」



変わらない、三蔵。話し方も、仕草も。何もかも離れたあの日のまま、三蔵はそこにいて。ねえ、わたしはあなたから見たら少しは変わったんだろうか。泣きそうになるのをグッと堪えて拳を握る。





「……お前だけだ、俺に何度もこっぱずかしい言葉を言わせやがるのは」

「っ、」

「いいか、最後の一回だ。俺はお前を、愛してる。俺を選べ、名無しさん」





息を、呑む。紡がれた言葉は昔聞いたそれで、変わらずそこに想いがあることを一番明確に表してくれる。ただ昔と違うのは、わたしの気持ちも同じだということ。あの頃まだわからなかったこの感情の名前を、わたしは知っている。




わたしも、三蔵を愛してる。






ずっとずっと、想ってた。離れていても、ずっと。離れたからこそ気づいてしまった気持ち。このまま逢わなければ忘れられると思っていたのに、どれ程経ってもその想いは消えてくれなくて。時が経てば経つほど焦がれてしまう、なんて、わたしは知らなかったよ。





それでも。わたしは決めてたんだ。どんなに心が引き裂かれても、もう、貴方の人生を壊さないって。











「……ごめんなさい、」

「……それが答えか」






思わず駆け出しそうになる足を必死で抑える。思わず縋りそうになる手を握りしめる。


お願い、早く。わたしが貴方の目を見る前に、ここから去ってよ。



俯いて、三蔵の足元を見る。さよなら、わたしの愛しいひと。きっとこれからも、貴方だけを想ってます。だからお願い、貴方はそのまま、幸せになって。





「……わかった」

「っ、」






泣くな、わたし。三蔵がいなくなるまで泣いちゃダメだ。泣いたらきっと、貴方はわたしを抱きしめてくれるから。


踵を返して去っていく三蔵。
その背中がだんだん滲んでぼやけてく。


さよなら。ありがとう。そんなキレイな言葉を紡ぐ余裕なんてわたしにはなかった。



ただただ、涙を零さないように、と。








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