誘惑蜘蛛 book
□誘惑蜘蛛
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「これ、やっておきました」
「ありがとう、助かるよ」
卒業から3ヶ月が経った。わたしは決めていた職場には行かず、誰も知らない土地へと来た。そこで小さな会社の事務として雇って貰い、家には帰らないで古いアパートの一室で暮らしている。
卒業と同時に住んでいた家は荷物もそのままに離れて、必要最低限物だけを持って出た。小さなバッグひとつに収まったそれだけでわたしには十分。
卒業の日、先生1人1人にメールを送った。長くもなく、短くもない。1人1人ちゃんと考えて、それでももう逢わないという意思だけはちゃんと伝えて。今までありがとうございました、と最後に添えた。しあわせになってくださいだとか、奥さんとしあわせになんて、わたしが言えることではないような気がして書けなかった。思っていることの半分も伝えられなかったけど、先生方はわたしの意思を汲み取ってくれたのかそれ以来連絡はない。
八戒へのメールは1番悩んでしまった。わたしのせいではないと言ってくれたけど、八戒の人生を変えてしまったのは紛れもなくわたしだから。謝って許されることでもないし、こうして今更離れたって何も元に戻らないことは知っていたけど。
「もう今日は上がっていいよ」
「はい、お先に失礼します」
ただ坦々と、職場とアパートを往復する日々。これからどうなるか、なんてわからない。どうしたいのかさえ、わからない。ただ、もう誰にも迷惑をかけずに生きたかった。
わたしにとってしあわせで救われてたあの日々は誰かの犠牲の上に成り立っていたものだったから。
ずっと、1人でもいい。誰も傷つけたくない。今のわたしはそれが1番の願い。
みんなの顔が浮かんでは消える。離れてから1日だって、みんなを思い出さない日はなかった。
願わくば、何もなかったあの頃ような、しあわせの中にいますように、と。
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