誘惑蜘蛛 book

□誘惑蜘蛛
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学校に、行こうと思った。


お父さんの荷物もお母さんの荷物も、陸の荷物も、キレイに片付いた。
仏壇を置いた部屋に、見えないように片付けて。


あの日から、少しずつ変わって行ったことと、目まぐるしく変わったこと。
たくさんあったから、わたしはもう、前に進まなきゃならない。
いろんなことを受け入れて、これからはひとりで。
いろんなことを決めて、いろんなことを受け入れていかなきゃならない。






「あ、誰だろ、」






聞き慣れた、インターホンの音が聞こえて立ち上がる。
ひとりになってからわたしはこの音が鳴る度に救われてた。









「八戒先生、ちょうどよかったです」


「こんばんは、桜沢さん」








キレイな、エメラルドグリーンの瞳とかち合って笑う。
いつもここに来てくれる、優しい先生。


穏やかで、わたしの心に寄り添ってくれる。









「何がちょうどよかったんですか?」


「あ、あのわたし、そろそろ学校行こうかな、と思ってまして、」


「もう、通えそうですか?」


「はい、いつまでもこうしてるわけにはいかないので、」







いつか前に進まなければならないのだとしたら。
今しかないと思った。


一度立ち上がればきっと、どんなに辛くても立ち向かっていくしかないから。
それはきっと、今なのだと思う、今立ち上がれなければまたいつか、足下を掬われてしまう。










「そうですか、……強くなりましたね」


「そんな、」


「辛い時は素直に頼っていいですから。……頑張ってください」


「っ、はい、!」







柔らかな、先生の笑顔に心が穏やかになる。
八戒先生がいる学校ならば、きっとわたしは通える。


事故のことを聞いてくるひとがいるかもしれない。
一人になってしまったことを実感するかもしれない。


それでも、見守ってくれるひとがいるなら。








「っ、」






ふいに、手を引かれて八戒先生を見上げる。
八戒先生はわたしの手首を見ていて。






「これ、悟浄ですか?」



手首に遺った、痣。
これは悟浄先生に初めて抱かれたあの日、ついたもので。
痛くなかったからすっかり忘れていた。






「違、います、」


「では三蔵が?」


「っ、いえ、」






関係を持ったふたりの名前がでて焦る。
なんでこんなにも的確なんだろう。


八戒先生の瞳を見つめてしまえば嘘はつけなくなってしまうから目を逸らした。








「痛くないですか?」


「……はい、」


「ならいいです。じゃあ、プリント置いておきますね。わたしはこれで」







意外とあっさり、離された手。
拍子抜けしたけど、本来はこれが普通だ。


理事長、悟浄先生と立て続いていたから頭が混乱していた。








「あの、ありがとうございました」


「いえ、学校には明日から来ると伝えておいても大丈夫ですか?」


「はい、お願いします」







ニッコリ笑った先生に、一礼する。
ドアが閉まった瞬間、ひとつ息をついて。


八戒先生まで巻き込むわけにはいかなかった。


先生はきっと、わたしたちの関係を知ったらやめさせるだろう。


少なくとも今まで関わってきた八戒先生という先生はそういうひとだ。


理事長や悟浄先生が責められてしまうのもイヤだった。


ぜんぶ、わたしのためにしてくれていることなのに。


手首に触れて、拳を握る。
明日は長袖の制服にしよう。










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