誘惑蜘蛛 book
□誘惑蜘蛛
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「こんにちは、理事長。いつも、ありがとうございます」
家族がいなくて、急に部屋が広く感じるようになって。
毎日が勝手に進んでくけどあの日、葬儀が終わった次の日から、彼は時間が空けばわたしの元に来てくれるようになった。
「体は大丈夫か?」
「……はい、熱も下がって、今は頭も痛くないです」
家族がいなくなって初めて、風邪を引いた。
まだお母さんがいた頃、風邪を引けばずっと寝るまで傍にいてくれて、わたしが起きればあたたかい雑炊を作ってくれた。
けれど、もうお母さんはいなくて、慌てて帰って来てわたしを心配してくれるお父さんもいない。
風邪の時だけ、一緒に寝てくれた陸も、もういない。
「まだ寝てろ、微熱があるぞ」
「っ、」
ふと、冷たい手がおでこに触れて、意識を戻せば近いところに理事長の顔。
驚いて一歩下がるけど、それは理事長によって止められて。
抱き寄せられた体。
はっきりと感じる理事長の体温を、わたしは何度感じただろう。
「あ、……の、」
「なんだ?」
声を発しようとすれば、ますます強く抱かれる体。
少し楽しそうな理事長の声が耳元をくすぐって。
「相変わらず慣れないな、名無しさんは」
「だって、恥ずかしくて、」
「慣れるまでしてやるよ」
理事長はあの日からこうして、わたしを抱き締める。
それがどんな想いでしていることなのか、はっきり聞いたことはなかったけど、こうして抱き締められるのはとても安心するから断れないまま。
「っ、ん、」
理事長の髪が、首下にかかってくすぐったい。
どうして、なんて聞けないけど。
わたしはこの熱を、手放せないでいた。
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