おはなし

□おとぎ話
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 移動中の車内。
 内ポケットの携帯が、振動で着信を告げる。
 私は目の前の年若い上司に「失礼します」と声をかけて携帯に出た。
「はい、島岡です」


 ここはニューヨーク。
 あの悪夢の文化祭の日からすでに2年が経過していた。
 今、目の前に座るのは、あの日以来、負の感情すら表出しない出来のいいマネキンのようになってしまったギイ。
 仕事は常に完璧だが、そこに人間らしさの欠片すら欠如した“崎義一”という名のヒューマノイド。
 託生さんをはじめとする祠堂の級友たちに一言の別れを告げることのないまま、あの混乱に乗じて強引に引き離され、ギイは変わってしまった。
 そんなギイがただ一度取り乱した瞬間。
 それは祠堂から引き揚げられたギイの荷物の中に、託生さんに渡したはずのバイオリンを見つけた時だった。
 後にも先にも、あんなギイを見たのは初めてで……。
 昔からギイのことをよく知っていると思っていた私もそして彼のご家族も、託生さんの存在の大きさを痛感した瞬間だった。
 あの時から、2年――。
 ギイは“喜”と“楽”の感情を失い、彼の手元にはバイオリンだけが残った――。


「判りました。では、そのように」
 私は通話を切り、ギイに声をかける。
「急な話で申し訳ありませんが、スケジュールが変更になりました」
 ギイは書類に目を落としたまま、ちらりと視線だけを投げてくる。
 倒れない程度に食べ、ギリギリまで仕事に没頭し、倒れ込むように眠る……。
――そんなあなたを我々ももう見たくはないのですよ。
「このあとの業務は、すべてキャンセルとなりました」
 ピクリとギイの眉が動き、訝しげな顔が書類から上げられる。
「先方の都合がどうしてもつかなくなったそうで、スケジュールを組み直した結果、本日のあなたの業務は終了ということになりました」
「……まあいい。このまま社に戻る。回してくれ」
――棒読みではないが、冷めた口調。その口調にももうそろそろお別れをさせて欲しいですね。
「できません。あなたの本日の業務は終了したのです。今、適当な場所に車を着けますので、降りていただきます」
「島岡? おまえ、何を言って……」
――無表情のマネキンが苛立つって、そんな表情、かの人には見せてないでしょうね、ギイ?
 抗議の声を上げるギイに構わず、運転手に停車を命じる。
 ほどなくして車が停まる。
「どうぞ、降りてください。お疲れ様でした、ギイ」
 ドアが外から開かれ、私を睨みつけていたギイも、私も運転手もそれ以上動かないと判断すると、渋々と車を降り――ビクリと固まった。
 運転手がすかさずドアを閉め、固まったままのギイに一礼すると素早く運転席に戻り発進する。
――さあ、行ってください。そして、ギイ自身を取り戻してください。
 立ち尽くしたまま、茫然と自然史博物館を見上げるギイが小さくなっていった。
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