【小説】長々し世を
□ある蝦夷の桜の話
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攻めてくるは新政府軍。
足下に積もるは、白い、暖かな雪。
こんなに積もったのを見たのは、ここに来て初めてだった。
この、蝦夷の地に。
見渡す限りの雪原も、身を切るような風も、ここに来て初めて体験した。
遠くに来たものだった。
「どんな気分だぇ?」
そんな男に声をかけた紅は、もう正体を隠そうとしない。深紅の瞳に、深紅の髪。炎の柄のあしらわれた緋色の着物を着流して、男の傍らに立つ大樹の枝に腰掛ける。冬だから、もう葉はすっかり散ってしまっていて、雪の下で来年のためのよい腐葉土となっていることだろうと、紅はつらつら考えた。
「今、どんな気分だぇ?土方?」
そう、問うと、なにをとなく、この小高い丘から自らの住まう官舎のあるあたりを見下ろしていた土方が、小さく肩をゆらした。
「・・・・・」
重い沈黙があたりを覆う。が、紅は一向に気にした様子もなく、ただ煙管を取り出した。
「・・・おまえの守りたかったものは・・・ここには残ってんのか?」
問いを重ねる。が、紅とて、ちゃんとした答えを求めているわけではなかった。
すっかりと晴れ渡った空は、いつか土方が見た、故郷やあるいは京の空と、同じだろうか。かつて、彼のよりどころであった、仲間たちと見た・・・。
「・・・あぁ」
「・・・」
およ、と紅は土方を見下ろした。紅の位置からは、彼の頭と肩のあたりしか見えないが、彼の抱く意志はよく見えた。
「残っている」
紅は、かすかに笑うと、煙を吐いた。
「人間って奴ぁおもしれぇモンだとは思っていたがな」
すると土方は、樹の上の紅を見上げ、かすかに笑う。
「おまえも、たいがいおもしろい方だと思っているが」
「そうかぇ」
誰に組するわけでなく、誰を妨げるわけでなく。
「今日こそ、おまえの正体を知りたいと思っていたが・・・」
大樹の張り出した枝に、こん、と煙管をたたき灰を抜き、紅はくるりと煙管を指の周りをまわす。弄びながら、紅は笑む。土方は、かすかにかぶりを振った。
「知りたかった、が?」
「・・・もういいさ・・・」
「いいのか?」
かすかに首を傾げて見せた紅に、土方はうなずく。
「おまえはおまえだ。おまえが人だろうが妖怪だろうがなんだろうが、俺には関係ない」
「確かに」
くつくつと笑い、紅はまた葉をつめた。
「まぁ、これも何かの縁だ。おまえに、一度だけ加護をくれてやる」
「・・・加護?」
煙を吐き、香りをたのしみ、紅は続けた。
「一度だけ、炎の機会を与えよう。それを、おまえの望む結果に近づけてやる」
土方はいぶかしげに眉を寄せる。
「炎の機会?」
「最近のおまえたちの流行言葉を使えば、ちゃんす、かな」
「・・・好機というやつか?」
紅は笑う。
「おまえの人生に、一度だけ、選ぶ機会を与えよう」
「・・・・」
土方は黙った。が、またふと紅をみる。
「加護とは・・・おまえはもしや・・・神・・・なのか・・・?」
さて、そろそろ行くか。
紅は翼を広げた。
白と緋色の段々染めのような色の翼が、空気をつかむ。
「桜か・・・」
この桜のように、この男も潔く散るのだろうか。
紅は、とん、と座っていた大樹の肌を蹴る。あいにくとこの桜のつぼみはまだだ。
「じゃぁな」
「・・・あ、あぁ・・・」
ひょいと手を上げ、紅は空高く飛び去った。
神の気まぐれで、人生の転機を己がものとした男は、ただ、飛び去る緋色の神を見送った。