ForestDrop文庫

□幽霊列車が止まる駅
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2,春菜駅
 その噂がある駅と言うのが、春菜駅である。
 神崎駅から数えて2つ手前となる小早川駅までは線路が高架になっているのに、春菜駅から北王路駅までは地上線のまま残されている。
 春菜駅及び南春菜駅を抱える朝倉市自体は、線路の高架化には反対ではなかったのだが、地域住民が猛反発したために、高架化することが出来ないと言う。
「そこまで高架化に反対する理由は何だろう」
 新聞記者である木下恵祐は、地元の駅と言うこともあり、その理由が気になっていた。
 春菜駅は、特急『グランビューうみかぜ』こそ通過するが急行と各停列車が停車する、そこそこに乗客数の多い駅である。地上線だからこそか、春菜駅周辺の踏み切りは時折渋滞する。
『春菜駅を高架化してほしい』
 そういう声を恵佑は、何度か地元を取材して、その声を聞いてきた。
 そして、それと同じ数だけ反対意見も聞いているのである。
『春菜駅の高架は反対』
 その理由は、特急の停車駅ではないものの、春菜線の中では重要な駅であり、今の線路を高架にする必要が無いという意見が多い。それに、そんなに高い金銭を拠出してまで、春菜駅を高架駅にする理由が無いというのだ。
 現に、踏切が原因で渋滞するといっても、朝と夕方の通勤・通学ラッシュ時のみで、毎日と言うわけではない。その時間帯の列車も特別に頻度高く運転されているわけではない。すぐに踏切を何とかなくすなどして、自動車の流れをスムーズにすると言う対策はそんなに急ぐ必要は無いと判断されているのである。
 今でも、駅前には『春菜駅周辺の早期高架化の実現を。 春菜駅高架を求める朝倉市民の会』と書かれた大きなボードが掲げられている。
 春菜駅の駅舎とは対照的に、その周りにはマンションやビルが建っており、駅周辺と、そこから伸びる商店街だけが昔の面影を残す状態となっている。
 
「そういえば、恵佑。春菜駅近くに実家があるんだよな」
「ああ。今は神崎市にアパート構えているけどな」
 新聞社のデスクで、恵佑は取材した内容をパソコンで記事にしているとき、隣のデスクにいる同僚・松沢隆士が話しかけてきた。
「それはいいんだけどさ。こんなうわさを聞いたこと無いか?」
「何の噂さ」
「春菜駅に幽霊列車が来るという噂さ」
「幽霊列車??」
「ああ。終電の走り去った真夜中に、列車が走っていて、それが、あの世とこの世を結んでいる幽霊列車だという話さ」
「…真夜中にね。終電後だったら、保線作業員の人たちが資材や工具を運ぶのに、それ用の列車を動かしている音と、わけも分からないで深夜の線路を見ていて、それを見かけた人が幽霊列車だと間違えたというのが、大半だろう?」
「そうかもしれないけど、本当に幽霊列車を見かけたという話もあるんだ。ただ、それが古い電車だったとか、機関車が客車を牽いている列車とか、いろいろと話は分かれるんだが」
「…なんだそりゃ?」
 幽霊列車の存在自体が怪しいのに、それを見たという人によって、その幽霊列車がどんなのだったのかということに、それぞれ違う答えを出している。デマなのか、それとも何種類も違う幽霊列車がいるということなのか?
「よく、分かんないな」
「それにさ、春菜駅てさ、そういう話が出るのには最適な駅じゃん。昔からの古い駅舎と、前は機関車庫があったとかいう広い構内に、引込み線とかさ」
「わけも分からないことを言うなよ。くだらない」
 それきり、松沢が話しかけてくることには耳をふさいだ。
「春菜駅に幽霊列車?? くだらない」
 そうとは言いながらも、恵佑自体も幽霊列車の噂が気になっていた。
(…本当に、春菜駅にそんな列車が来るのか??)

 お盆が近い、7月下旬。
 恵佑は朝倉市春菜にある自宅へと帰っていた。
 いつもは神崎市街にあるアパートで一人暮らしをしているのだが、個人的に取材をしたいと思っているところがあるため、そのためには実家に帰ったほうがやりやすいと思っていたのである。
「春菜駅高架とか、シャッター商店街とか、この辺も取材はしているけどな…」
 この春菜地区は、かつては鉱山の町として賑わった過去がある。
 今でこそ、春菜という可愛らしい名前が地区名についてはいるが、以前は明日鶴という名前の地区だった。
 そして、町が発展している春菜駅舎のある方の、線路を挟んだ反対側には明日鶴鉱山という炭鉱があった。ここで取れたのは石炭だかの資源で、それを満載に積んだ貨車が連なった長い列車を蒸気機関車が牽引。港まで運ばれ、そこから各地に運ばれていたようである。
 この鉱山の働き手が各地から集まり、やがて鉱山の賑わいとともに、明日鶴商店街(現在のはるなタウンストリート)には飲食店やら食料品店やら多くの店が出来て、明日鶴の町は炭鉱とともに発展していった。
 その後、明日鶴の町は衰退の一途をたどることになる。明日鶴鉱山の1つの現場で起こった事故と、それに重なるかのように、石炭から石油へ需要が移っていったことから、鉱山が次第に閉山していったからだ。
 そして40年前には、明日鶴鉱山は全ての山が閉山し、貨物列車のほとんどは廃止され、明日鶴の人口も次第に減っていった。
 20年前に、それまでの炭鉱の町から、観光の町へとシフトする町おこし計画が起こり、地区名を明日鶴から春菜へ、商店街の名前をはるなタウンストリートへと、それぞれ改めた。
 その後、鉱山から温泉が湧き出たことから、観光の町としての発展は成功し、再び町が活気付くだろうと誰もが安堵した。しかし、付近に大きなスーパーマーケットが出来るなどして、多くの店が閉まっていった。
「明日鶴から春菜に名前が変わったのが、俺が5歳のときだからな…」
 それまで朝倉市明日鶴だった住所が朝倉市春菜と名前が変わった際、書類などを作成するのに新しい住所を書く際、多くの住民は戸惑ったことだろう。
 しかし、恵佑はこの時はまだ幼児だったこともあり、そういうことはよく分からなかったのだが。
「…鉱山の町と言うイメージの払拭のためなんだろうけど、急に地区名が変わると言うのもな」
 地区名が変わった理由を取材していくうちに、なんだかよく分からなくなっていた。
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